今回は、藤原定子と藤原彰子の関係を家系図で紹介!仲は悪かった?【光る君へ】と題してお届けします。
2024年に放送予定の吉高由里子さん主演の大河ドラマ『光る君へ』。
主人公・紫式部が仕えた藤原彰子を見上愛さん、彰子と同じく一条天皇の正室だった藤原定子を高畑充希さんが演じられます!
定子と彰子は同じ一条天皇の正妻同士なので、バチバチの関係だったのでしょうか?(><)
本記事では、藤原定子と藤原彰子の関係を家系図で紹介!仲は悪かった?【光る君へ】と題して詳しくご紹介していきます。
- 「同じ夫を持つ女性同士ってことはバチバチなの?」と気になった方
- 「紫式部は清少納言をライバル視してたけど、彰子も定子をライバル視してたの?」と気になった方
- 「2人とも正室ってどういうこと?」と思った方
ぜひ、最後までお付き合いください(*^^*)
藤原定子と藤原彰子の関係を家系図で紹介!【光る君へ】
関係→従姉妹であり、同じ夫を持つ女性同士
『光る君へ』に登場する藤原定子(高畑充希)と、藤原彰子(見上愛)。
- 定子の父親→藤原道隆(井浦新)
- 彰子の父親→藤原道長(柄本佑)
は兄弟(道隆が長男、道長が5男)なので、定子と彰子は従姉妹同士です。
そして、
- 定子→990年に一条天皇に入内(結婚)
- 彰子→999年に一条天皇に入内(結婚)
しているため、同じ夫を持つ女性同士でもあるのです。
定子に仕えていたのが清少納言、彰子に仕えていたのが紫式部だよ!
紫式部と清少納言について、詳しくはこちら♪
年齢的には、
- 定子→977年生まれ
- 彰子→988年生まれ
であり、定子の方が11歳も年上ですね。
2人とも正室になった理由
天皇の妃の位は「皇后=中宮>女御>更衣」であり、
- 藤原定子→皇后
- 藤原彰子→中宮
で、2人とも一条天皇の正室でした。
これは、1人の天皇(帝)に2人の后がついていたことから「一帝二后」と呼ばれており、史上初のことでした。
なぜ、1人の天皇に2人の正室がつくことになったのかを簡単にまとめると、
皇后と中宮を分けたから(元々、中宮は皇后の別名だった)
定子の父・道隆が、定子を正室にするため、定子を皇后に、彰子を中宮にしたから
定子が出家し、「中宮職を行う后がいない」という名目で、彰子の父・道長がという理由です。
詳しい経緯を解説していきます。
990年2月 定子は「女御(妃の中で2番目)」として一条天皇に入内(結婚)
↓
定子の父・道隆「権力を握るため、何としても定子を一条天皇の正室にしたい!!」
↓
正室の地位である「皇后」の枠は、既に埋まっていた
当時は「三后」といい、
- 皇后(天皇の正妻)
- 皇太后(前の天皇の正妻で、現在の天皇の母)
- 太皇太后(前の前の天皇の正妻、現在の天皇の祖母)
が后位(皇后の地位)を与えられた。
定子が入内した時、
- 皇后→先々代の天皇の正妻
- 皇太后→一条天皇の母・詮子(吉田羊)
- 太皇太后→3代前の帝の正妻
という状態で、3枠が埋まっていたため、定子は天皇のただ1人の妻(当時)なのに、正妻の地位になれなかった。
道隆「何としてでも・・・そうだ!『皇后』の別名の『中宮』を皇后と分けて、別物にしちゃえばいい!そうすれば『中宮』の枠は空く!」
↓
990年10月 定子が中宮になる
↓
前代未聞の「四后並立」になり、反感を買った
要は、「偉い地位の枠が埋まってたから、別名だった名前を分けて別物にして、枠を増やして娘をねじ込んじゃった!」というわけです。
この時点では、一条天皇の正妻は中宮である定子だけです。
定子の父・道隆が亡くなる
↓
999年 彰子が「女御(妃の中で2番目)」として一条天皇に入内(結婚)・この時の中宮は定子
↓
その後、定子の後ろ盾になっていた兄・伊周(三浦翔平)も、前の天皇への無礼で左遷されることに
↓
定子の目の前で連れて行かれ、定子はショックで出家
↓
彰子の父・道長「権力を握るため、何としても彰子を一条天皇の正室にしたい・・・そうだ!兄・道隆が使っていた手を応用しよう!」
↓
道長は、
中宮だった定子→「皇后」に
中宮の枠が空いたため、女御だった彰子→「中宮」に
する
※名目上は、定子が一度出家していて、神事・中宮職を行える后がいないため(他の皇后である天皇の母や、先々代の天皇の正妻も出家済み)
出家していると、神事をしちゃいけなかったんだね
地位的には定子はスライドして名前が変わっただけ、彰子は地位が上がってる
↓
これにより、史上初の「一帝二后」が成立
要は、「中宮と皇后って別物なんでしょ?ってことは、定子を皇后にしちゃえば、うちの娘を中宮(正室)にできるじゃん!」というわけです。
↓
その人を「CEO」にし、さらに「社長」を擁立
↓
1つの会社に2人の社長(正妻2人)
って感じかな
定子の兄・道隆も前代未聞の「四后並立」にしましたが、后の位にあったのは天皇の母や以前の天皇の正妻たちだったため、「一条天皇の正妻」は定子だけでした。
しかし今回は、皇后・定子も中宮・彰子も「一条天皇の正妻」という地位になったのです(><)
定子の兄・道隆がした「皇后」と「中宮」を別物にすることを道長が応用した結果、2人とも正室になるという事態になったのでした。
性格の違い
藤原定子と藤原彰子は、同じ一条天皇の正室同士でしたが、性格は大きく異なります!
結構性格が違うので、そんなに仲良しにはなれなさそうですが、実際の仲はどうだったのでしょうか?
次章で詳しく解説していきます!
藤原定子と藤原彰子の仲は悪かった?【光る君へ】
題字と第4弾出演者発表がありましたね…!😀
超重要人物の発表でした☑️藤原定子…高畑充希
☑️藤原彰子…見上愛
☑️藤原伊周…三浦翔平
☑️花山天皇…本郷奏多あとは一条天皇が未発表ですね…🤔 pic.twitter.com/U9RcW3rrxc
— リン@英語ラボ (@eiko_eigo) May 23, 2023
結論→特別仲が悪いわけではなかった模様
『光る君へ』に登場する藤原定子(高畑充希)と、藤原彰子(見上愛)は、従姉妹であり、同じ夫を持つ女性同士です。
同じ夫を持つ女性同士ですし性格も違うため、仲良くなれそうにはありませんが、実際2人の仲は悪はそこまで悪くなかったようです。
本章では、定子と彰子がどのような仲だったのかについて詳しく解説していきます!
そもそも一緒にいた時期が少ない!?
藤原定子と藤原彰子は2人とも一条天皇の正妻であり、彰子が入内(結婚)した999年11月〜定子が亡くなる1001年1月までの約1年間は、同じ夫を持つ時期が被っています。
天皇の妻は、基本的には天皇が住む宮殿・内裏の「後宮」に住んでいました。
宮中に住む者同士なので、会いたくなくても鉢合わせてしまうこともあったでしょう。
しかし定子と彰子に関しては、同じ時期に宮中(内裏)にいた期間がほとんどないのです!
999年11月 彰子入内(結婚し、後宮に入る)
↓
当時、定子は第二子の出産を控え、宮中を出ていた
↓
999年12月に出産し、後宮に戻る
↓
1000年年始〜1000年3月くらいまでの2・3ヶ月間は同じ時期に後宮にいたと思われる
↓
1000年4月 立后の儀(正式に中宮に定めること)を行うため、彰子は里帰り
↓
その翌日、一条天皇は定子を呼び寄せる
↓
半月ほど一緒に過ごし、この時に3人目の子どもを妊娠
↓
1000年5月頃には、定子は再び宮中を出ている
↓
1001年1月 定子逝去
彰子が里帰りした翌日に一条天皇が定子を呼び寄せているということは、後宮にいたものの近くにいなかったか、別の場所にいたのかもしれません。
このように、同じ夫を持つ約1年間の間、同時期に後宮にいたのは多く見積もっても2・3ヶ月間だけなのです!
しかもその期間、
- 定子は子供を出産したばかり
- 1000年4月までは彰子はまだ「女御」で、定子より格下だった
- 当時、定子は23歳、彰子は12歳
であり、正妻同士になってから同じ時期に宮中にいた期間はないようなので、バチバチの関係にはならなかったのではないかと考えられます!
定子の方が年・結婚歴・位も上で、しかも既に子供を2人産んでたから、嫉妬の対象にすらならないよね
彰子はまだ12歳だし
同じ正妻同士になってから定子が彰子をどう思っていたのかの資料はないため、分かっていません。
自分の後ろ盾であった父親・道隆は既に亡くなっているのに、彰子には道長という強力な後ろ盾がいたため、焦りや不安はあったかもしれません。
しかし定子のことを詳しく記した清少納言の『枕草子』には、定子のマイナスな面が一切描かれておらず、明るく華やかな定子のままです。
そのため、仮に彰子に嫉妬したり不安に思っていたりしても、表には出さない強さと優しさがあったのではないかと考えられます(><)
愛されていたのは定子!
藤原定子と藤原彰子は、同じ一条天皇という夫を持つ正妻同士ですが、一条天皇により愛されていたのは定子です!
簡単にまとめると、
ほとんど定子のところに通っていた
一応他の妻のところにも通っていたが(当時は通い婚)、定子が1番で、反対を押しのけて出家したのを引き戻し、夜遅くにコッソリ会っていた
彰子が実家に帰った隙に会う
などといったエピソードがあります♡
「片方が溺愛されてると、もう片方は嫉妬しまくるんじゃない?」と思いますよね(^_^;)
しかし前述の通り、彰子が入内(結婚)したのは12歳、定子が亡くなった時点でも13歳であり、一条天皇は21歳。
一条天皇は彰子にも優しく接するものの、当時は添い寝しかしなかったそうです。
さらに彰子はドライ?というかサバサバした性格のようで、
一条天皇が彰子のために得意な笛を吹く
↓
彰子は演奏中、一度も一条天皇を見なかった
↓
一条天皇に「なぜ見てくれないのか?」と問われると、
彰子「笛は耳で聞くものであり、目で見るものではありません」
と言ったというエピソードがあります(笑)
13歳だったから21歳の一条天皇が恋愛対象ではなかったのか、プライドが高いのか、この時点では自分から好かれようとはしていないようですね(^_^;)
13歳という幼い年齢で手も出されていないので、24歳の定子に嫉妬するとは考えにくいと思います。
定子の子供を彰子が育てる
藤原定子は1001年、24歳の時に3人目の子どもを出産した直後に亡くなりました。
定子が産んでいた一条天皇の第一皇子・敦康親王は、定子の死後、定子の妹・御匣殿に育てられていました。
しかし御匣殿はすぐに亡くなってしまったため、彰子が敦康親王を育てることになったのです。
自分の夫と他の奥さんの子どもを育てるなんて、発狂しそうな出来事ですよね(><)
しかし、彰子は敦康親王を可愛がります。
後に、彰子は一条天皇との間に第二皇子・敦成親王、第三皇子・敦良親王を授かり、彰子の父・道長の圧力によって、彰子の子で第二皇子の敦成親王が皇太子となりました。
普通、自分の子供が皇太子となったのですから喜ぶべきことなのに、彰子は第一皇子(定子との子)を差し置いて、第二皇子(自分の子)が皇太子になることに憤りを感じます。
そして、このことが原因で父・藤原道長に反抗するようになったのです!
要は、「どうして定子さまの息子じゃなくて、うちの子が皇太子になるの!?お父さま嫌い!!」ということです!
彰子は性格良すぎますね(><)
定子の子を大切に育てていたことからも、彰子は定子を憎んでいるわけではなく、嫉妬もしていないと考えられます。
定子のように愛されたい?
前述の通り、藤原彰子は藤原定子に嫉妬していたとは思えません。
しかし、一条天皇は定子が亡くなってからも彰子に見向きもしてくれませんでした。
道長は「彰子に皇子を産ませて権力を握るぞ!」と思って彰子を嫁がせたので、彰子には一条天皇との子を授かる使命があります。
そこで彰子は、定子が漢詩の知識を持っていて一条天皇と話が弾んでいたことから、紫式部に漢詩を教えてもらいました。
【漢詩とは?】
中国の伝統的な詩のこと。
当時、女性は、
- 漢詩
- 漢文(漢字のみでつづった古代中国の文章)
- 漢籍(漢文で描かれた中国の書物)
の知識があっても、知らないふりをするのが奥ゆかしいとされた時代。
しかし、定子には漢詩や漢籍の教養と知識があり、一条天皇と話が弾んでいた。
定子と同じ知識を得ることで、一条天皇と話が合うようになりたいと思ったわけですね。
そんな彰子の努力が報われた?ためか、彰子は嫁いで9年でやっと一条天皇の子どもを授かったのです。
彰子は定子に嫉妬して「クソ、私だって漢詩くらい!!」というよりは、「定子さまのように」と目標にしていた感じがしますね(*^^*)
【定子→彰子】
- 当時はただの子ども(12歳)で、位も下
- 同じ正妻になっても、自分のほうが一条天皇から愛されてた
【彰子→定子】
- 定子の子を大切に育てる
- 目標にしていた?
=特別仲が悪いわけでもなく、バチバチでもない!!
共演シーンはある?
本来
吹き出しポジションに
画伯の絵。笑 pic.twitter.com/0sDrSQuAKj— 高畑 充希 (@mitsuki_tamago) April 14, 2016
昨年の小倉記念に続きプレゼンターを務めさせていただきました。
予想は外れてしまいましたが、いろんな意味でアツいレースでした!関係者の皆さま、お疲れ様です。素敵なレースをありがとうございました。
この先の夏競馬でも、新たなHEROが誕生することを楽しみにしています。 pic.twitter.com/ztzt8E52XK— 見上愛&STAFF (@mikami_ai_) August 13, 2023
結論→多分ない
『光る君へ』では、藤原定子を高畑充希さん、藤原彰子を見上愛さんが演じられます。
2人のバチバチのライバル関係も見たかったですが、前述の通り、定子と彰子が同時に宮中にいた期間はごく僅かなので、共演シーンもないと思われます(><)
もし会うシーンがあったとしても、当時彰子は12歳なので、見上愛さんではなく子役が使われるかもしれませんね。
まとめ
配役発表がなかった一条天皇(円融天皇の皇子。母は藤原兼家の娘・詮子。藤原定子と藤原彰子の夫君)がトレンド入りしておる😅🧐 pic.twitter.com/dmx3cxXg17
— づ (@I7Z5BKqTS3YB7no) May 23, 2023
本記事では、藤原定子と藤原彰子の関係を家系図で紹介!仲は悪かった?【光る君へ】と題して詳しくご紹介していきましたが、いかがでしたでしょうか?
『光る君へ』に登場する藤原定子(高畑充希)と藤原彰子(見上愛)は、従姉妹であり同じ夫を持つ正妻同士です。
普通ならバッチバチの関係でもおかしくなさそうですが、仲が悪いわけではなかったようですね♪
関係図を頭に入れながら『光る君へ』を見ると、より理解しやすいと思いますので、参考にしていただければ幸いです(*^^*)
それでは、藤原定子と藤原彰子の関係を家系図で紹介!仲は悪かった?【光る君へ】を最後までお読みいただき、ありがとうございました。