今回は、紫式部と清少納言のエピソードを紹介!ライバル関係は嘘?【光る君へ】と題してお届けします。
2024年に放送予定の吉高由里子さん主演の大河ドラマ『光る君へ』。
主人公・紫式部は『源氏物語』を書いた平安時代の女性作家ですが、平安時代の女性作家といえば、『枕草子』を書いた清少納言も有名ですよね!
学生時代にセットで覚えていた方も多いのではないでしょうか♪
比べられたり、セットで覚えられたりする2人ですが、実際2人がどのような関係だったのかは詳しく知らない方も多いのではないでしょうか?
本記事では、紫式部と清少納言のエピソードを紹介!ライバル関係は嘘?【光る君へ】と題して詳しくご紹介していきます。
- 「紫式部と清少納言は知ってるけど、実際どんな関係だったの?」と思った方
- 「『光る君へ』で共演シーンはあるの?」と気になった方
ぜひ、最後までお付き合いください(*^^*)
紫式部と清少納言のライバル関係は嘘?【光る君へ】
今更ながら次の大河、町田啓太さんが藤原公任と知り、テンションが爆上がり‼️イメージぴったり‼️しかも四納言全員美しい‼️
三舟の才や、清少納言に下の句だけ送りつけるエピソードとか、紫式部に酔ってウザ絡みするのとか、町田啓太さんでやってくれるのかな😍
再現度高かったら、授業で使いたい pic.twitter.com/sExeQGg0IR
— 蓮見のりこ (@nolly7) April 20, 2023
『光る君へ』の主人公・紫式部(吉高由里子)と、清少納言(ファーストサマーウイカ)についてのエピソードをご紹介する前に、
- 2人の基本情報&関係図
- ライバル関係の真相
- 共演シーンはあるのか
などをご紹介していきます!
2人の基本情報や背景からご紹介しますので、歴史が苦手な方でも安心ですよ♪
2人の基本情報&関係図
『光る君へ』の主人公・紫式部(吉高由里子)と、清少納言(ファーストサマーウイカ)について簡単に文字でもまとめると、
- 違うお姫さまに女房として仕えていた
- お姫さまは、一条天皇の妻同士
という関係になります。
【女房とは?】
宮中や貴族に仕えた女性のことで、主人の身の回りのお世話や教育をした。
同じ夫を持つ者同士として、定子と彰子はライバルっぽくも見えますが、本人同士は特にライバル視はしていなかったようです。
紫式部と清少納言の基本情報についてもまとめてみました。
紫式部 | 清少納言 | |
生没年 | 970〜1014 (45歳で死去) | 966〜1025ごろ (59歳ごろ死去) |
代表作 | 長編物語『源氏物語』 | 随筆『枕草子』 |
宮仕えを始めた年 | 1005年(36歳) | 993年(28歳ごろ) |
仕えた人物 | 彰子 | 定子 |
サロンの雰囲気 | 上品で消極的 | 明るく華やか |
性格 | 陰キャ (人付き合いが苦手でネガティブ) | 陽キャ (明るく積極的で勝ち気) |
父親 | 藤原為時(岸谷五朗) ・下級貴族 ・漢文や漢詩が得意な学者 ・紫式部が優秀だったため、「お前が男だったら」と言う | 清原元輔 ・中流貴族 ・有名な歌人 ・清少納言を褒めて育てる |
母親 | ちやは(国中涼子) ・紫式部が4歳の時に亡くなる | 不明 |
結婚歴 | 998年 藤原宣孝と結婚(29歳) 1001年 死別(32歳) | 981年 橘則光と結婚(16歳) 反りが合わず離婚 藤原棟世と再婚 |
子供 | 999年 娘・賢子を出産(30歳) ・賢子は、後に大弐三位という歌人になる ・彰子の女房に | 982年 橘則光との息子・橘則長を出産(17歳) 藤原棟世との娘・上東門院小馬命婦を出産 |
紫式部と清少納言の生没年には諸説あります。
【サロンとは?】
宮中の特定の集団のこと。
この場合、定子や彰子を中心として仕える女性が集まって知的な会話を楽しみ、それが「サロン」と呼ばれた。
- 一条天皇の妃に女房として仕えた
- 中級~下級貴族の出身
- 結婚歴あり
- 子供が彰子(紫式部が仕えた姫)に仕える
- 性格
- サロンの雰囲気
- 育てられ方
同じような経歴を持ちながら、性格が真逆ですね!
これはライバル関係になってもおかしくないような感じですが、果たして2人はライバルだったのでしょうか?
ライバル関係の真相
紫式部(吉高由里子)のライバル・清少納言役キャスティング会議で「あの〜、、ファーストサマーウイカさんとかどうすか?」と思い付いて言い出した #光る君へ スタッフさんにもうギャラクシー賞あげたい pic.twitter.com/loB8Yq3nZu
— ドラマ考察/評論/実況の大島育宙(無限まやかしの非ドラマ回も告知します) (@zyasuoki_d) February 21, 2023
『光る君へ』の主人公・紫式部(吉高由里子)と、清少納言(ファーストサマーウイカ)のライバル関係の真相をご紹介していきます!
面識すらなかった!
私はこの事実を知った時にビックリしたのですが、紫式部と清少納言は会ったことがなかったのです!
2人の接点といえば、同じ一条天皇の妃たちの女房として仕えていた(紫式部→彰子、清少納言→定子)ことですが、2人が同じ時期に宮中にいたことはないのです!
1001年ごろ
清少納言が宮中にいた時期→993年〜1005年〜1013年
紫式部が宮中にいた時期→清少納言が宮中を去ってから紫式部が宮仕えを始めるまで、4年ほどの間がありますね。
紫式部と清少納言の娘たち(大弐三位、上東門院小馬命婦)は彰子(紫式部が仕えた姫)の女房になっている
清少納言の友人・和泉式部、赤染衛門は、後に彰子に仕え、紫式部の同僚になっている
ため、お互いに知っていて、相手のことを伝え聞いていたとは思いますが、直接的な面識はなかったのです。
ライバル視してたのは紫式部のみ
前述の通り、紫式部と清少納言に面識はないため、バチバチのライバル関係だったわけではありません。
しかし宮仕え中の日記『紫式部日記』から、紫式部が一方的に清少納言をライバル視していた可能性は十分に考えられます!
紫式部が『紫式部日記』で名指しで清少納言の悪口を書いているのに対し、清少納言が『枕草子』で紫式部自身の悪口を書いている描写ありません。
これは、
『枕草子』が完成したのは1001年頃であり、紫式部が宮中に入った頃(1005年)には既に広まっていた
紫式部が『源氏物語』を書き始めたのは1001年頃であり、既に清少納言は『枕草子』を書き終えた&宮中から去った時期だった
ことから、紫式部は清少納言を知っていたが、『枕草子』執筆時に清少納言は紫式部のことをあまり知らなかった&意識もしていなかったからだと思われます。
そもそも、「彰子に皇子を産ませたい!」と思った藤原道長が、一条天皇の気を引くために紫式部を彰子の女房にしたのです。
一条天皇は文芸に深い関心を示していて、『源氏物語』にも興味を持ってたんだよ
詳しい時代背景は、この記事で紹介してるよ♪
紫式部には「一条天皇の気を彰子に向けさせる」という使命があるにも関わらず、
一条天皇は定子LOVEだったため、定子が亡くなってからも彰子に見向きもしてくれない
上品でお堅いサロンだった
一条天皇が来たくなるようなサロンにしなくてはいけないのに、彰子のサロンは明るく華やかな定子サロンを懐かしむ声があった
定子が逝去して9年経っても、という歯がゆい状況でした(><)
清少納言は定子サロンの謂わば「看板女房」だったため、『源氏物語』で有名だった紫式部は、何かと比べられることも多かったのではないでしょうか?
しかし前述の通り、紫式部は陰キャであり、清少納言は陽キャ。
仕えている彰子も大人しいタイプで、一方清少納言が仕えていた定子は華やかなお姫さまだったため、同じようなサロンを作り上げるのは超困難ですよね(^_^;)
そのため紫式部は、
「一条天皇の気を彰子に向けさせるために『源氏物語』を書いたり、彰子に漢詩を教えたり、いろいろ頑張ってる。
なのに、みんな清少納言がいた定子サロンのことばかり懐かしんでるヽ(`Д´)ノ
私だって清少納言に負けないくらい優秀なのに!!」
というように思い、一方的にライバル視していたのかもしれませんね。
共演シーンはある?
あ、やっぱにとる!
吉高由里子さん
ファーストサマーウイカさん
ドラマで共演しないかなぁ〜。
略奪愛系で pic.twitter.com/7ZQVVclqmy— すねぽん (@sunepon2000) January 12, 2020
結論→史実と違ってある模様
『光る君へ』では、主人公・紫式部を吉高由里子さん、清少納言をファーストサマーウイカさんが演じられます。
前述の通り、紫式部と清少納言には面識がないのですが、打毬のシーンで一緒に観戦していたという記事がありました。
【打毬とは?】
白組・赤組で戦う団体戦。
地面に置かれた自分の組の色の球を、乗馬した状態で網の付いた棒ですくってゴールに入れる。
端午の節会(5月5日)の際に行われる宮中の年中行事。
競技の模様を見つめる宮中の女性たちの姿も収録されていました。
まひろ(紫式部、吉高由里子さん)や、道長の妻、源倫子(黒木華さん)、清少納言(ファーストサマーウイカさん)らが華麗な装束に身を包み、熱心に応援します。
引用:https://artexhibition.jp/topics/news/20230911-AEJ1580692/
紫式部と清少納言が同じ時期に宮中にいるのは史実と異なりますが、『光る君へ』では共演シーンがあるようですね!
これは2人のバチバチのライバル関係も見られるかもしれません!
清少納言以外にも、
- 清少納言が仕えた姫・定子(高畑充希)
- 定子の父・藤原道隆(井浦新)
なども、紫式部と面識があったという情報はありませんが、史実と違って共演シーンがある可能性もあります。
紫式部と清少納言のエピソードを紹介!【光る君へ】
紅白梅図屏風以外にも見所沢山だったわ。これ、江戸時代の女性に置き換えて描かれた清少納言、紫式部、小野小町の掛け軸なんだが…『香炉峰の雪』エピソード一発でわかる清少納言先輩マジ強い。月と紅葉と本で推測出来る紫式部、消去法で小野小町。
…強い。 pic.twitter.com/rEOSSFGjSp— 天野星月 (@celes_kaiser) March 21, 2023
『光る君へ』の主人公・紫式部(吉高由里子)と、清少納言(ファーストサマーウイカ)は面識がなく、紫式部が一方的にライバル視しているという関係でした。
面識こそないものの、お互いの著書でのエピソードがあるため、ご紹介していきます!
『紫式部日記』で清少納言を批判
紫式部は、宮仕え中に書いた日記『紫式部日記』で清少納言を批判していましたので、そのエピソードをご紹介していきます。
\楽しくカジュアルに『紫式部日記』の内容を知りたい方にオススメ♪/
漢字の書き間違いが多い
「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。
さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり」
【意味】
清少納言は、ひどく得意顔をしていた人だった。
利口ぶって漢字を書き散らしているが、よく見ると間違いが多く、足りないことばかり。
「書き散らしてる」って表現がヤバいですね(笑)
前述の通り、紫式部は「お前が男だったら」と言われて育ちましたが、清少納言は褒められて育ちました。
女性は、
- 漢詩(中国の伝統的な詩)
- 漢文(漢字のみでつづった古代中国の文章)
の知識があっても、知らないふりをするのが奥ゆかしいとされた時代。
紫式部は女房たちから「気取っている」と思われてイジメを受けたため、漢字の「一」も読めないふりをし、目立たないようにしていました。
一方、清少納言は定子のもとで培った知識を存分に発揮し、定子にも認められ、「看板女房」として目立っていたのです。
そのため紫式部は、
「私は目立たずにバカなふりしてるのに、清少納言は何で許されていたのよ!
よーく見たら清少納言だって漢字を書き間違えてるじゃない!
私は、その間違いに気づくほど賢いのに!」
と、嫉妬に近い感情を抱いていたのかもしれませんね(^_^;)
中身のない人間
「かく、人に異ならむと思ひ好める人は、必ず見劣りし、行末うたてのみ侍るは。
艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし」
【意味】
(清少納言のように)好んで人と違うことをする人は必ず見劣りするようになり、お先真っ暗でしょう。
何てことないことでも「風流だ〜素敵〜」と言ってる人は、いつの間にか、中身のない人間になるでしょう。
「清少納言のように『わたしって個性的♪』『(何でもない風景にも)『素敵〜♡』なんて言ってる人は、中身のない人間になってお先真っ暗よ」
って感じかな?
清少納言が書いた『枕草子』といえば、「春はあけぼの〜」が有名ですよね。
超訳すると、「春はあけぼのが良いな〜夏は夜が好きだな〜」みたいな感じで、四季の好きな部分をそれぞれ挙げており、『枕草子』内では他にも、
護衛兵は痩せてる人、猫は黒猫でお腹が白い子、冬は超寒いの、夏は超暑いのが良い
スズメ、ひよこ、ゴミを拾って大人に見せる赤ちゃん、抱っこして寝てくれた赤ちゃんが可愛い
水晶の数珠や藤の花、いちごを食べる小さい子供が上品
若い美人が歯痛に苦しんでるのが色っぽい
人との競争、特に男性に勝った時は超嬉しい
などなど、割とあれこれ「良い」と書いているんですよね。
紫式部にとっては「何でもないこと」が多かったため、「何てことないことでも『素敵〜』と言ってる人は、いつの間にか、中身のない人間になる」と思ったのかもしれません(^_^;)
また、清少納言が仕えていた定子は、次第に立ち場が危うくなって没落していくのですが、『枕草子』には暗い面は一切書かず、明るい面だけを書き続けています。
紫式部は、
「私が仕えてる彰子さまのお父様・藤原道長の権力にやられてたのに、清少納言は『あれもこれも素敵〜』って無理しちゃって(笑)」
と、思っていたのかもしれませんね。
成れの果てはろくでもないだろう
「そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよく侍らむ」
【意味】
そんな中身がなくなった人(清少納言のこと)の成れの果ては、良くなることがあろうか(いや、ない)
より強い主張になる反語(良くなることがあろうか。いや、ない)という表現を使って、痛烈に批判していますね(^_^;)
今の清少納言だけでなく、成れの果てまで批判しちゃうなんて中々です(笑)
では、実際に清少納言は落ちぶれてしまったのでしょうか?
清少納言は定子が亡くなった後、宮中を去り、その後については分かっていませんが、
藤原棟世と再婚し、娘・上東門院小馬命婦を授かった
互いの老化を詠み合ったりした
友人で、後に彰子の女房(紫式部の同僚)になった歌人・和泉式部に海苔を贈ったり、粗末な家に住んだ説
出家して尼になり、阿波国(現在の徳島県)で
↓
「落ちぶれても駿馬の骨には買い手がある!(落ちぶれたって、名馬なら骨にすら買い手がいる)」と叱りつけた
というエピソードも
といった説があります。
再婚して娘も授かっていますし、宮中を去ってからも友人と風流な付き合いをしたり、貴族の悪口に負けなかったりと、落ちぶれてはいないように感じます!
紫式部の読みは外れているため、そのことが余計に清少納言へのライバル心を燃やしてしまったのかもしれませんね(^_^;)
『枕草子』で紫式部の夫を批判
清少納言は、随筆(エッセイ)『枕草子』で紫式部の夫を批判していましたので、そのエピソードをご紹介していきます。
\楽しくカジュアルに『枕草子』の内容を知りたい方にオススメ♪/
ダサい服で参拝
「なほいみじき人と聞ゆれど、こよなくやつれてこそ詣づと知りたれ、衛門の佐信孝といひたる人は〜」
『あぢきなきことなり。ただきよき衣を着て詣でむに、なでふことかあらむ。
かならず、よも、あやしうて詣でよと、御嶽さらにのたまはじ』
とて、三月つごもりに、紫のいと濃き指貫、白き襖、山吹のいみじうおどろおどろしきなど着て、隆光が主殿の亮なるには、青色の襖、紅の衣、摺りもどろかしたる水干という袴を着せて、うち続き詣でたりけるを、帰る人も今詣づるも、珍しうあやしきことに、すべて昔よりこの山にかかる姿の人見えざりつと、あさましがりしを、四月朔日に帰りて、六月十日のほどに筑前の守の辞せしになりたりしこそ、げに言ひけるに違はずも、と聞えしか。
これは、あはれなることにはあらねど、御嶽のついでなり。
【意味】
どんなに高貴な人でも粗末な格好でお参りすると聞くが、左衛門尉という役職の藤原宣孝(←紫式部の夫)という人は、
「そんなのつまらない慣習だ。
ただ清潔な衣を着てお参りするのに、どれほどのことがあろうか(いや、ない)。
御嶽山の蔵王権現(神社の名前)は、まさか『質素な服装でお参りせよ』なんて言っていないだろう」
と言い、3月末に、
濃い紫の袴×白い狩衣(上着)×山吹色の超派手派手な袿(インナー)
を着て、
主殿の亮という役職だった息子の隆光には、
乱れ模様の水干袴(短めの袴)×青色の狩衣(上着)×紅色の袿(インナー)
を着せ、連れ立ってお参りした。
そんな2人に会った参拝から帰る人も今から行く人も、珍しくて変な格好だと見入り、この山でこんな格好の人は見たことがないと驚いて呆れていた。
しかし、4月1日に京に帰ってきて、6月10日ごろに当時の筑前守(現在の福岡県を治める役人)が辞任し、その代わりに就任した。
そのため、本当に言った通りになったと評判になった。
これは「あはれなること」(しみじみとしたこと)ではないが、御嶽山の話のついでに書いた。
「藤原宣孝とその息子は超ダサい格好でお参りしたけど、帰京後に出世したから、ご利益はあったみたいね」
って感じかな?
藤原宣孝と、息子・隆光の格好を簡単に再現するとこんな感じでしょうか?
隆光はともかく、宣孝はそこまでダサいとは思いませんが、周りがみんな粗末な格好でお参りしていたのであれば、この2人は超目立ちますよね(笑)
藤原宣孝は紫式部の夫ですが、清少納言が藤原宣孝をディスったのは紫式部と結婚する前!
宣孝が派手な格好で参拝→990年
『枕草子』執筆時期→995年〜1001年頃
紫式部と宣孝が結婚→998年
清少納言は紫式部に対しての嫌味で書いたわけではないのです!
しかし、紫式部は「私の夫の悪口を書いた!」と思ってしまい、さらにライバル心を燃やしてしまったのかもしれませんね(^_^;)
まとめ
其の三【平安時代】
紫式部(佐藤蕗子)
清少納言(小野由香)あらすじ☞
あらま、いとおかし〜。同じ時代、同じ宮廷で過ごした才女二人が静かな火花を散らす!?彼らの代表作のエピソードから平安時代と現代の恋愛事情の違いまでを暴露。平安ガールズトークの決定版! pic.twitter.com/a8qKqSVE7k— 歴史漫才ヒストリーズ・ジャパン (@historysjapan) July 16, 2017
本記事では、紫式部と清少納言のエピソードを紹介!ライバル関係は嘘?【光る君へ】と題して詳しくご紹介していきましたが、いかがでしたでしょうか?
紫式部と清少納言はライバルっぽいイメージがありましたが、実際には面識すらなく、ライバル視していたのは紫式部のみでした!
『紫式部日記』や『枕草子』に書かれていたディスりエピソードもご紹介しましたので、参考にしていただければ幸いです(*^^*)
『光る君へ』で吉高由里子さんとファーストサマーウイカさんのバチバチが見られないのはちょっと残念ですが、ディスりエピソードは映像化してほしいです(笑)
それでは、紫式部と清少納言のエピソードを紹介!ライバル関係は嘘?【光る君へ】を最後までお読みいただき、ありがとうございました。