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光る君へ年表!紫式部の死因や生い立ち・時代背景を簡単にわかりやすく解説!

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今回は、光る君へ年表!紫式部の死因や生い立ち・時代背景を簡単にわかりやすく解説!と題してお届けします。

毎週日曜日20:00〜放送されている吉高由里子さん主演の大河ドラマ『光る君へ』

『源氏物語』の作者として知られる紫式部が主人公です。

歴史の授業でやったので名前だけは覚えていますが、ぶっちゃけどんな人か、その時代に何があったのかは、私のように忘れてしまっていた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

ねこ先輩
ねこ先輩
歴史苦手だった(^_^;)

私は高畑充希さんが大好きなので理解した上で楽しみたいと思い、本を買い漁って調べてみました!

日本史が苦手だった私が、自分でも分かるように簡単にわかりやすく解説していきます♪

本記事では、光る君へ年表!紫式部の死因や生い立ち・時代背景を簡単にわかりやすく解説!と題して詳しくご紹介していきます。

こんな方にオススメ!
  • 「『源氏物語』は聞いたことあるけど、ぶっちゃけ紫式部自身がどんな人でどんな人生だったか知らない」という方
  • 「歴史とか苦手だから、簡単にわかりやすく知りたい!」という方
  • 「あの時代の用語とかマジ分からん」という方
  • 紫式部の一生だけでなく、時代背景も併せて理解したい方
ねこ先輩
ねこ先輩
カンタンに4コマでもまとめてみたよ♪

ぜひ、最後までお付き合いください(*^^*)

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目次
  1. 光る君へ年表!
  2. 光る君へ年表!紫式部の死因や生い立ち・時代背景を簡単にわかりやすく解説!
  3. 光る君へ解説!
  4. まとめ
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光る君へ年表!

史実通り
紫式部時代背景
970誕生この時の天皇は円融天皇
973母・死亡(4歳)
984父・式部省の役人になる(15歳) 円融天皇退位&花山天皇即位
986父・職を失う(17歳)花山天皇退位&一条天皇即位
990藤原定子が一条天皇に入内(結婚)
藤原兼家が死亡し、息子の道隆が関白となる
993清少納言が定子に仕える
994姉・死亡(25歳)
995道隆が死亡し、弟・藤原道長が右大臣となる
996父・越前守に任命され、越前(今の福井県)へ
紫式部も同行(27歳)
藤原道長が左大臣となる
998越前から戻り、藤原宣孝と結婚(29歳)
999娘が誕生(30歳)道長の娘・彰子が一条天皇に入内(結婚)する
一条天皇と定子の間に、敦康親王誕生
1000定子が皇后、彰子が中宮となる
年末に定子・死亡
1001夫・宣孝死亡
秋ごろから『源氏物語』を書き始める(32歳)
1005中宮・彰子に仕え始める(36歳)
1008『源氏物語』ほぼ完成(39歳)一条天皇と彰子の間に、敦成親王(後の後一条天皇)誕生
1009一条天皇と彰子の間に、敦良親王誕生
1011弟・死亡(42歳)一条天皇が退位し、三条天皇が即位
一条天皇・死亡
1012彰子が皇太后となる
1013宮中を出る 
1014紫式部・死亡(45歳)
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紫式部の生没年には諸説ありますので、本記事では生まれ年はドラマの設定と同じ970年で統一させていただきました。

 

年齢は平安時代の数え方に合わせ、数え年(生まれた時が1歳)で表記しています。

現代的に直すには−1をしてください。

 

大河ドラマ『光る君へ』の年表について、紫式部の生涯と時代背景を史実通りに簡単にまとめました!

 

史実通りの年表は上記の通りですが、『光る君へ』ドラマ内で起きた出来事の年表もご紹介していきます。

ねこ先輩
ねこ先輩
回が進むごとに更新するよ!
ドラマ内年表
まひろ道長時代背景
966誕生この時の天皇は村上天皇
967村上天皇退位&冷泉天皇即位
969冷泉天皇退位&円融天皇即位
970誕生
978まひろ(9歳)と道長(13歳)が出会う

母が道兼に殺害される(史実では973年)
為時が花山天皇の教育係に
983倫子と出会う(14歳)
984父・式部省の役人になる(15歳)

清少納言と出会う
(史実では面識なし)
円融天皇退位&花山天皇即位
985忯子・死亡
986直秀・死亡

一夜を共にする(まひろ17歳、道長21歳)
花山天皇退位&一条天皇即位
父・職を失う
987倫子と結婚(22歳)
988長女・彰子誕生

源明子を妻にする(23歳)
990東三条殿で再会(まひろ21歳、道長25歳)藤原定子が一条天皇に入内(結婚)
藤原兼家が死亡し、息子の道隆が関白となる
明子妊娠&流産
991円融天皇・死亡
992長男・頼通誕生(27歳)
993道綱母(寧子)と出会う(24歳)明子との第一子出産(28歳)清少納言が定子に仕える

左大臣・源雅信死亡
994たね・死亡(史実では姉・死亡)
まひろ疫病&道長看病(まひろ25歳、道長29歳)
995さわとの別れ(26歳)右大臣&内覧となる(30歳)道隆&道兼が死亡
996  長徳の変
以下は史実通り(ドラマ後に随時更新)
996父・越前守に任命され、越前(今の福井県)へ
紫式部も同行(27歳)
左大臣となる(31歳)
998越前から戻り、藤原宣孝と結婚(29歳)
999娘が誕生(30歳)娘・彰子が一条天皇に入内する(34歳)一条天皇と定子の間に、敦康親王誕生
1000定子が皇后、彰子が中宮となる
年末に定子・死亡
1001夫・宣孝死亡
秋ごろから『源氏物語』を書き始める(32歳)
 
1002 詮子・死亡
1005中宮・彰子に仕え始める(36歳) 
1008『源氏物語』ほぼ完成(39歳)一条天皇と彰子の間に、敦成親王(後の後一条天皇)誕生

花山天皇・死亡
1009一条天皇と彰子の間に、敦良親王誕生
1011弟・死亡(42歳)一条天皇が退位し、三条天皇が即位
一条天皇・死亡
1012彰子が皇太后となる
1013宮中を出る 
1014紫式部・死亡(45歳)
1028死亡(享年62歳)

 

ドラマでは割とW主演っぽく道長のことも描かれているため、道長の年表も入れてみました!

史実と合わせ、参考にしてみてください♪

詳しい生涯や時代背景については、次章でご紹介していきます(*^^*)

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光る君へロケ地・紀行はどこ?撮影場所を1話から更新中!今回は、光る君へロケ地・紀行はどこ?撮影場所を1話から更新中!と題してお届けします。 毎週日曜日20:00〜放送されている吉高由里...

 

光る君へ年表!紫式部の死因や生い立ち・時代背景を簡単にわかりやすく解説!

『光る君へ』の主人公・紫式部の生涯について、

  • 生い立ち
  • 結婚〜死別
  • 宮中へ
  • 死因

に分け、それぞれ時代背景と共に簡単にわかりやすく解説していきます!

意味が分からない単語については説明に加え、「現代ではこんな感じ」という比喩も入れますので、歴史が苦手な方でも安心ですよ♪

 

生い立ち(←光る君へでは今ここ)

『光る君へ』の主人公・紫式部の生い立ちの年表だけ、抜き取ってみました。

紫式部時代背景
970誕生この時の天皇は円融天皇
973母・死亡(4歳)
984父・式部省の役人になる(15歳)  円融天皇退位&花山天皇即位
986父・職を失う(17歳)花山天皇退位&一条天皇即位
990藤原定子が一条天皇に入内(結婚)
藤原兼家が死亡し、息子の道隆が関白となる
993清少納言が定子に仕える
994姉・死亡(25歳)
995道隆が死亡し、弟・藤原道長が右大臣となる
996父・越前守に任命され、越前(今の福井県)へ
紫式部も同行(27歳)
藤原道長が左大臣となる

詳しく解説していきます♪

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紫式部は下級貴族の家に誕生します。

そして、4歳の時に母・ちやは(国仲涼子)が亡くなります

ちやはは紫式部の弟・惟規のぶのり(高杉真宙)を出産してすぐに亡くなったと言われているそうです。

父・藤原為時ためとき(岸谷五朗)は漢文や漢詩を得意とする学者であり、紫式部がそばで聞いているだけで覚えてしまったため、

「紫式部が男の子として産まれていたら良かったのに」

と考えていたそうです。

ねこ先輩
ねこ先輩
逆に弟の惟規のぶのりは勉強が苦手だったんだって(笑) 

 

父・藤原為時は、紫式部が15歳の時に式部省に勤めはじめ、六位蔵人くろうどでした。

【式部省とは?】

人事や礼式、役人養成機関である大学寮を統括する省のこと。

現代で言うと、文部科学省のような仕事や、役人の人事に関する仕事をする省のこと。

 

【六位蔵人くろうどとは?】

天皇の膳の給仕や、秘書的な役割をする仕事のこと。

6番目の地位(1番下)であったが、帝がいる殿上の間に入ることは許されていた。

 

17歳の時、父・藤原為時(岸谷五朗)が職を失います。

これは、花山天皇(本郷奏多)が僧になるため出家して退位し、一条天皇が即位したためです。

ねこ先輩
ねこ先輩
当時は、天皇が代わると重要な役職の入れ替えがあったんだって!

 

ある時、10年間無職だった父・為時に転機がやってきます!

ねこ先輩
ねこ先輩
10年ニートはなかなか(笑)

為時は淡路守あわじのかみに任命されたのです!

【淡路とは?】

今の兵庫県淡路島。

 

【守とは?】

国司(地方の国を治める役人)の中で1番上の階級。

5番目の地位(下から2番目)だったが、帝がいる殿上の間に入ることは許されていなかった。

ねこ先輩
ねこ先輩
ニート卒業おめでとうだけど、地位はそんなに上がってないね

 

995年に関白・藤原道隆(井浦新)が亡くなり、一条天皇は誰も関白には任命しませんでしたが、藤原道長(柄本佑)を「内覧」にし、右大臣に昇格させました。

【内覧とは?】

天皇が見たり許可を与えたりする必要がある文書を、天皇より先に見る役職のこと。

謂わば「政治を取り仕切る役目」。

 

【右大臣とは?】

司法・行政・立法を司る太政官(最高行政機関)の職の一つ。

2番目に偉い地位。

 

前述の通りトップが代わると役職の入れ替えが起こるため、紫式部の父・為時にも仕事が回ってきたのです!

 

しかし淡路は「下国」だったため、為時は一条天皇に申文を出します。

【下国とは?】

地方は土地の広さや農産物の撮れ高により、

  • 大国
  • 上国
  • 中国
  • 下国

と格付けされていた。

 

【申文とは?】

下位の者が朝廷に希望を書いて差し出す手紙のこと。

 

為時の申文の出来が良かったため、大国・越前守に任命されたのです!

【越前とは?】

今の福井県北部。

ねこ先輩
ねこ先輩
越前守には道長の部下・源国盛がなるはずだったけど、譲ったことで病気になって亡くなったんだって(^_^;)

 

この頃、紫式部は藤原宣孝(佐々木蔵之介)から求婚されていました。

しかし、

  • 宣孝は17歳も年上
  • 宣孝には正室も側室も愛人もいた
  • 他の女性との子どもが紫式部と同い年くらいだった

ため、ためらっていたのです。。。

ねこ先輩
ねこ先輩
当時は一夫多妻制だもんね

 

父親を1人で越前に行かせるのも心配だったため、紫式部も一緒に越前へ向かったのでした。

 

時代背景

紫式部が誕生してから越前へ行くまでの時代背景についても解説します。

世は藤原家全盛期時代であり、ほぼすべての天皇に摂政・関白が置かれていました!

【摂政とは?】

天皇が幼い時に代わりに最終判断を下す役割。

 

【関白とは?】

成人した天皇を補佐する役割。

天皇が物事を決める前に、内容を吟味する権利があった。

 

身内同士の戦いとなり、藤原家は

  • 北家
  • 南家
  • 式家
  • 京家

に分かれて勢力争いをしていましたが、道長の父・藤原兼家(段田安則)は、

娘・詮子あきこ(吉田羊)を円融天皇(坂東巳之助)に入内(結婚)させる

ねこ先輩
ねこ先輩
1話で兼家が文句言ってた通り、入内(結婚)の順番は、遵子のぶこ詮子あきこだったよ


詮子が男の子・懐仁かいじん(後の一条天皇)を産む

円融天皇は兼家が嫌いだったため、皇子を産んでいない藤原頼忠(橋爪淳)の娘・遵子を中宮(正室みたいなもの)にした

怒った兼家は出社拒否&詮子と懐仁を円融天皇に会わせなかった

円融天皇は譲歩して退位
「懐仁を皇太子にしてあげるよ。その代わりに僕の甥の花山天皇(本郷奏多)を次の天皇にするから」

花山天皇(本郷奏多)が即位

懐仁は東宮(皇太子)となる

兼家は自分の孫(懐仁)を即位させるべく、策略する

花山天皇の妻・忯子よしこ(井上咲楽)が急死

ねこ先輩
ねこ先輩

忯子は妊娠中だったけど、17歳で急死しちゃうよ

死因は、花山天皇の寵愛が過ぎて無理がたたり、病死したって言われてる(><)


絶望している花山天皇に出家するようそそのかす

兼家の三男・道兼「一緒に出家しましょう!」

花山天皇が出家後、土壇場で道兼「出家前に親に会ってきます!」と言って立ち去る

花山天皇が僧になるため出家して退位

一条天皇即位

兼家は祖父として摂政となる(のちに関白)

という流れで、藤原北家が権力を手にしたのです!

ねこ先輩
ねこ先輩
紫式部も北家の一族だったよ♪

貴族社会では妻の実家の援助を受け、母方の祖父や伯父が子どもを養育したり後見したりする習慣があった。

そのため、娘を天皇に嫁がせることで天皇の外戚となり、皇子を産ませることで力を持つことができた。

 

兼家の長男・藤原道隆(井浦新)は、長女・定子さだこ(高畑充希)を一条天皇に入内(結婚)させます。

一条天皇の母・詮子あきこ(吉田羊)も兼家の娘のため、道隆(井浦新)にとって一条天皇は甥っ子

一条天皇と定子はいとこ同士で結婚したのです。

ねこ先輩
ねこ先輩
詳しい家系図はこちら
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光る君へキャスト・家系図・相関図は?一覧を画像付きで紹介!子役も!今回は、光る君へキャスト・家系図・相関図は?一覧を画像付きで紹介!子役も!と題してお届けします。 毎週日曜日20:00〜放送されて...

 

990年に兼家が倒れると、藤原道隆(井浦新)が父の後を継いで関白となります。

ねこ先輩
ねこ先輩
兼家は関白になって3日で病気を理由に道隆に関白を譲って、その2ヶ月後に病死したんだって

 

993年、清少納言(ファーストサマーウイカ)は28歳頃から女房として定子に仕え始めます。

【女房とは?】

宮中や貴族に仕えた女性のことで、主人の身の回りのお世話や教育をした。

ねこ先輩
ねこ先輩

お世話係&家庭教師みたいなかんじかな?

現代の意味だと「奥さん」だからややこしいね(^_^;)

 

995年に藤原道隆(井浦新)が倒れると、色々とゴタゴタが・・・

道隆は息子・藤原伊周これちか(三浦翔平)に内覧を任せようとプッシュ

ねこ先輩
ねこ先輩
内覧は、関白と同じ様な権限だよ♪


伊周「話が違う!俺は関白になれるって聞いたんだ!!もう一度一条天皇に確認しろ!」

一条天皇「何だあいつ」

道隆(井浦新)の死後、伊周ではなく、道隆の弟・道兼(玉置玲央)が関白に就任

ねこ先輩
ねこ先輩
伊周にとっては叔父さんだね


しかし道兼は関白に就任して数日で、疫病で急死

一条天皇は次の関白を伊周(三浦翔平)or道長(柄本佑)で迷う
「伊周は妻・定子の兄だし、官職も上。でも、道長は年齢が上で人柄も良く、素質もあるんだよな〜」

一条天皇の母・詮子(吉田羊)が自分の弟・道長をプッシュ

ねこ先輩
ねこ先輩
詮子にとって伊周は甥っ子なんだけど、甥より弟を推したんだね(^_^;)


道長が内覧&右大臣になる

ねこ先輩
ねこ先輩
内覧は関白と同じ様な権限、右大臣は2番目に偉い地位だね♪

こうして、道隆(井浦新)の死後は道長(柄本佑)が権力を得たのです!

 

翌年、道長は左大臣に任命されます。

【左大臣とは?】

司法・行政・立法を司る太政官(最高行政機関)の職の一つ。

2番目に偉い地位だが、1番偉い太政大臣は名誉職みたいなものであるため、左大臣が事実上の最高位

左大臣は年配者、右大臣は若者が就任する。

大きく分けると右大臣と同じ地位だが、細かく分けると左大臣の方が上。

 

結婚〜死別

『光る君へ』の主人公・紫式部の結婚〜死別の年表だけ、抜き取ってみました。

紫式部時代背景
998越前から戻り、藤原宣孝と結婚(29歳)
999娘が誕生(30歳)道長の娘・彰子が一条天皇に入内(結婚)する
一条天皇と定子の間に、敦康親王誕生
1000定子が皇后、彰子が中宮となる
年末に定子・死亡
1001夫・宣孝死亡
秋ごろから『源氏物語』を書き始める(32歳)

詳しく解説していきます♪

 

越前にいる間も、紫式部は藤原宣孝のぶたか(佐々木蔵之介)と手紙(和歌)のやり取りをしていました。

  • 宣孝のこと
  • 紫式部が都に帰りたがっていたこと

があったため、紫式部の父・藤原為時(岸谷五朗)は越前に1人残り、紫式部を都に帰らせます。

 

そして、紫式部が29歳の時に藤原宣孝と結婚します。

現代でいうと平均くらいですが、平安時代当時はだいぶ遅い結婚だったようです。

平安時代は、

  • 男子→15歳〜結婚可能(平均初婚年齢は20歳くらい)
  • 女子→13歳〜結婚可能(平均初婚年齢は14〜15歳くらい)

だった。

 

宣孝とはケンカもしたそうですが、遠慮せずに本音でぶつかれる関係だったそうです(*^^*)

ねこ先輩
ねこ先輩
いい夫婦♪

 

翌年、女の子が誕生し、賢い娘になるように「賢子」と名付けました(*^^*)

賢子は後に大弐三位だいにのさんみと呼ばれる歌人になり、紫式部の後を継いで彰子の女房となる。

 

しかし、賢子が生まれた後、宣孝は紫式部のもとへ来ることが減り、夫婦仲が冷めていってしまったのです。。。

当時の結婚は、妻のところに夫が通う「妻問い婚(通い婚)」だった。

 

1001年、父・藤原為時(岸谷五朗)が越前守の任期(4年)を終え、都に帰ってきました。

同年、藤原宣孝(佐々木蔵之介)は都で流行していた疫病にかかり、亡くなってしまいます。。。

ねこ先輩
ねこ先輩
たった3年の結婚生活だったんだって。。。

当時、宣孝の心は紫式部から離れてしまっていましたが、それでも紫式部は深い悲しみを味わいました。

 

同年、秋ごろから宣孝を失った悲しみを紛らわすかのように『源氏物語』を書き始めたのです!

 

時代背景

紫式部が結婚してから死別するまでの時代背景についても解説します。

 

999年、藤原道長(柄本佑)は当時12歳だった長女・彰子(見上愛)を一条天皇のもとに入内(結婚)させ、2番目の妃・女御とします。

【天皇の妃の位は?】

皇后=中宮>女御にょうご>更衣

「中宮」は本来「皇后」の別名だった

 

【ちょっと人物関係を整理】

一条天皇は道長の姉・詮子(吉田羊)の息子のため、

  • 道長、道隆(死亡)にとっては甥っ子
  • 定子、彰子にとってはいとこ
ねこ先輩
ねこ先輩
定子(高畑充希)は道隆(井浦新)の子だよ

 

定子と彰子は同じ夫を持つ同士で、

  • 定子→中宮
  • 彰子→女御

定子の方が位が上

ねこ先輩
ねこ先輩
詳しい家系図はこちら
ねこ先輩
ねこ先輩
道長は、お兄ちゃん(道隆)も亡くなったし、自分の娘を天皇に嫁がせて権力握るチャンス!って感じだったのかな?

 

その年の年末、定子(高畑充希)は一条天皇の第一皇子となる敦康親王あつやすしんのうを出産します。

第一皇子を出産したものの、定子の父・道隆(井浦新)は既に亡くなっているため、敦康親王には祖父という後ろ盾がいません。

もし道長の娘・彰子が皇子を産めば、道長は皇子(未来の天皇)の祖父となれるのです。

 

翌年、藤原道長(柄本佑)は、

  • 中宮・定子(高畑充希)→皇后
  • 女御・彰子(見上愛)→中宮

にしたため、一条天皇は2人の正妻を持つこととなります。(史上初)

定子の位はそのままでスライドされ、彰子の位だけ上がっていますね。

ねこ先輩
ねこ先輩
天皇の妃の位は、皇后=中宮>女御>更衣だったね

これは彰子の位を上げ、さらに自分の地位を盤石にするための道長の計画だったのでしょう。

 

同年年末、定子は第二皇女(第一皇女は997年に出産)となる媄子内親王びしないしんのうを出産した直後、産後の経過が悪く、24歳という若さで亡くなったのです。。。

ねこ先輩
ねこ先輩
今もそうだけど、当時の出産はさらに命懸けだったんだね。。。

これで一条天皇の正妻は道長の娘・彰子だけとなりました。

 

宮中へ

『光る君へ』の主人公・紫式部の宮中にいた部分の年表だけ、抜き取ってみました。

紫式部時代背景
1005中宮・彰子に仕え始める(36歳)
1008『源氏物語』ほぼ完成(39歳)一条天皇と彰子の間に、敦成親王(後の後一条天皇)誕生
1009一条天皇と彰子の間に、敦良親王誕生
1011弟・死亡(42歳)一条天皇が退位し、三条天皇が即位
一条天皇・死亡
1012彰子が皇太后となる
1013宮中を出る 

詳しく解説していきます♪

 

宣孝を失った悲しみを紛らわすために『源氏物語』を書き始めた紫式部(吉高由里子)。

最初は『源氏物語』を友人たちに読ませていましたが、次第に貴族の間でも評判になります!

そんな時、

  • 彰子が『源氏物語』を気に入っていた
  • 彰子に高い教養を身に着けさせ、一条天皇が気にいる妃になり、皇子を産ませる

ために、藤原道長の正室・倫子ともこ(黒木華)に呼ばれ、「彰子の女房になってほしい」と言われます。

ねこ先輩
ねこ先輩
女房はお手伝いさん兼家庭教師みたいな感じだね

『薬屋のひとりごと』で玉葉妃に仕えてる猫猫の立ち位置にちょっと似てる

 

最初は戸惑っていた紫式部ですが、父・藤原為時(岸谷五朗)にも説得されます。

道長は、為時が大国・越前守に任命された際、力添えをしたため、為時は道長に恩があったのです。

父親にも説得された紫式部は、女房として彰子あきこ(見上愛)に仕え始めます

 

しかし宮中でイジメを受けたため、初出仕後に約5ヶ月も引きこもったとか(笑)

ねこ先輩
ねこ先輩
ほぼバックレじゃん(笑)

 

何やかんやありましたが、紫式部は「バカなふりをして目立たず出しゃばらない」という処世術?を覚え、無事、宮中での日々が始まったのです(^_^;)

当時、漢字は男性、女性はひらがなを使うのが一般的だった。

女性は、

  • 漢詩(中国の伝統的な詩)
  • 漢文(漢字のみでつづった古代中国の文章)

の知識があっても、知らないふりをするのが奥ゆかしいとされた時代。

紫式部は漢字の「一」も読めないふりをしていた。

 

そして、この頃から「藤式部とうしきぶ」と呼ばれるようになります。

ねこ先輩
ねこ先輩
まだ「紫式部」じゃなかったんだね

紫式部の本名は不明だが、『光る君へ』では「まひろ」となっている。

  • 「藤」→藤原氏の一族だから
  • 「式部」→昔、父親・為時(岸谷五朗)が式部省に勤めていたから

「藤式部」と呼ばれた。

ねこ先輩
ねこ先輩
名前というより、「藤原家の、式部省に務めてた為時さんの娘」みたいなもんだね

今でいう「〇〇部長の娘さん」みたいな感じかな?

 

当時、紙は貴重だったため、紙の提供者がいればその都度書いてた『源氏物語』ですが、藤原道長(柄本佑)の支援があり、彰子に仕えながら『源氏物語』を書き進めていました。

 

紫式部の他にも、道長が呼び寄せた才能ある女房、

赤染衛門あかぞめえもん(紫式部曰く「家柄は良くないが、歌は素晴らしい」)

伊勢大輔いせのたいふ(紫式部は、奈良の興福寺で咲いた桜を彰子に渡す役目を伊勢大輔に譲った)

和泉式部いずみしきぶ(紫式部曰く「素行は良くないが、歌は素晴らしい」)

など共に、彰子のサロンは優れた女性文化人が集う場になっていったのです。

【サロンとは?】

宮中の特定の集団のこと。

この場合、彰子を中心として仕える女性が集まって知的な会話を楽しみ、それが「サロン」と呼ばれた。

ねこ先輩
ねこ先輩
学校で言う「女の子のグループ」に近いのかな?

 

1008年から、宮中の様子を書いた日記『紫式部日記』を書き始めます。

『紫式部日記』には、同年に『源氏物語』と思われる物語の冊子作りが行われたと書かれているため、この頃には完成に近かったと考えられています。

 

当時、紫式部が仕えていた彰子が一条天皇の子・敦成親王あつひらしんのうを出産しました。

敦成親王誕生のお祝いの宴で、和歌や音楽の才人・藤原公任きんとう(町田啓太)が酔って「若紫はいませんか?」と探しました。

【若紫とは?】

『源氏物語』に登場する女性で、「紫の上」という名前でも知られる。

『源氏物語』の主人公・光源氏は、若紫が初恋の人に似ていたため気に入り、引き取って育てて、後に妻とする。

この話が評判になって「紫式部」と呼ばれるようになります

ねこ先輩
ねこ先輩
前までは「藤式部」って呼ばれてたね

 

1009年、40歳ごろには藤原道長(柄本佑)と和歌のやり取りをしていて、紫式部は道長の愛人(妾)説もあるようですが、定かではありません。

ねこ先輩
ねこ先輩
40歳で言い寄られるなんて、相当魅力的だったんだな〜

 

1010年には『紫式部日記』を完成させます。

 

翌年、紫式部の父・藤原為時(岸谷五朗)は、越後守えちごのかみに任命され、越後(今の新潟県)に向かいます。

父を心配してついていった紫式部の弟・惟規のぶのり(高杉真宙)は、越後の地で病気で亡くなりました。。。

ねこ先輩
ねこ先輩
惟規は昇進を辞退して、高齢の父のためについていったんだって。。。

紫式部は深い悲しみを味わい、弟を亡くした後に出家したいと思ったそうですが、彰子を支えるべく、宮中に残ったのです。

 

しかし、そんな紫式部に宮中を去る事態が訪れます。

1012年、中宮・彰子(見上愛)が皇太后となります。

【皇太后とは?】

前の天皇の妃であり、今の天皇の母という立ち場。

彰子は前の天皇・一条天皇の妃ではあるが、今の天皇・三条天皇の母ではない

 

三条天皇の両親は、

  • 父→冷泉天皇れいぜいてんのう(63代天皇。円融天皇の1代前)
  • 母→藤原兼家の長女・超子(道長の姉)

である。

 

三条天皇は、

  • 先代・一条天皇、彰子のいとこ
  • 道長にとっては甥っ子

 

彰子を皇太后にした=道長は自分の孫・敦成親王あつひらしんのう(彰子の子)を帝にするつもりと考えられます。

彰子はこれまで父・道長の言うことを聞き続けてきましたが、

一条天皇の第一皇子・敦康親王あつやすしんのう(定子との子)を差し置いて、第二皇子である敦成親王あつひらしんのう(彰子の子)が皇太子となること

自分が皇太后となること

も喜んでおらず、父・道長の強引さに憤りを感じていました。

ねこ先輩
ねこ先輩
自分の子じゃなくて、定子の子が皇太子になるべきって考えるなんて、彰子めっちゃいい子(><)

 

紫式部はそんな彰子に、道長のやり方に批判的な立場だった藤原実資さねすけ(ロバート・秋山)に相談してはどうかと勧め、紫式部は彰子と実資の相談の取り次ぎをしていました。

その噂を耳にした道長は「彰子が最近反抗的になったのは紫式部が原因かヽ(`Д´)ノ」と怒り、紫式部を彰子から遠ざけるため、宮中を追い出したのです。。。

紫式部が宮中を去った理由は、道長に遠ざけられたため以外に、体調が悪い日が続いていたためという説もある。

 

時代背景

紫式部が宮中にいる間の時代背景についても解説します。

一条天皇は定子(高畑充希)LOVEだったので、定子が亡くなってからも中宮(正妻)の彰子(見上愛)には見向きもしてくれません。。。

 

それどころか、亡き定子の面影を求め、定子の妹・御匣殿みくしげどのを可愛がり、妊娠させるほど(^_^;)

御匣殿は妊娠中に亡くなったため、御匣殿が育てていた 定子との間にできた第一皇子・敦康親王あつやすしんのうを彰子に育てさせたのです(><)

ねこ先輩
ねこ先輩
自分の夫と他の奥さんの子どもを育てなくちゃいけないなんて。。。

 

道長は「何としてでも彰子に皇子を産ませるんだ!」という目的で、紫式部を女房につけたのです。

 

一条天皇に振り向いてもらいたい彰子は、定子が漢詩の知識を持っていて一条天皇と話が弾んでいたことから、紫式部に漢詩を教えてもらいます

ねこ先輩
ねこ先輩
漢詩は中国の伝統的な詩のことだよ!

紫式部は中国の詩人・白居易が著した『白氏文集』を“こっそり”教えた

一条天皇が以前『源氏物語』を読んだ際、「これを書いた人は『日本書紀(日本紀)』(奈良時代に成立した歴史書)の知識がある」と褒める

それを聞いた女房が紫式部のことを「日本紀のお局」と悪口を言う

紫式部はいじめられて5ヶ月引きこもったくらいだから、悪口を気にして、他の女房がいない2人だけの時にこっそり教えた

 

そんな彰子の努力が報われた(一条天皇は『源氏物語』が読みたくて彰子のところに通ったという説も汗)ため、彰子は嫁いで9年、20歳の時に一条天皇の子を授かります。

1日半かかっためちゃめちゃ難産の末、1008年に彰子は一条天皇の第二皇子となる敦成親王あつひらしんのうを出産しました。

ねこ先輩
ねこ先輩
第一皇子は定子が産んでた敦康親王あつやすしんのうだよ

道長はめちゃめちゃ喜び、敦成親王がお洩らしをして自分の着物が濡れてしまっても喜んだとか(笑)

敦成親王は後に三条天皇が退位した後、後一条天皇となる。

三条天皇は眼病を患い、視力も失ったと言われており、

  • 視力が失ったこと
  • 内裏(天皇の私的区域)が焼失したこと

などにより、道長から譲位を迫られる。

 

三条天皇は自分の第一皇子である敦明親王あつあきらしんのうを皇太子にすることを条件に譲位したが、敦明親王は道長の無言の圧力で自ら皇太子を辞退した。

その見返りとして道長は、敦明親王に准太上天皇(譲位した天皇・太上天皇に準ずる待遇のこと)を与え、娘も嫁がせるなど礼を尽くした。

 

彰子は翌年にも一条天皇の第三皇子となる敦良親王あつながしんのうを出産します。

敦良親王は後に後一条天皇(彰子が産んだ第二皇子・敦成親王)が退位した後、後朱雀ごすざく天皇となる。

三条天皇の第一皇子である敦明親王あつあきらしんのうが皇太子を辞退した後、皇太子となった。

後一条天皇は皇子に恵まれないまま亡くなったため、敦良親王が天皇となった。

ねこ先輩
ねこ先輩
その次の後冷泉天皇ごれいぜいてんのうの母親も道長の娘だったから、道長は三代続けて「天皇の祖父」という地位を手に入れたんだね 

 

一条天皇は病気のため、いとこである三条天皇に譲位します。

 

一条天皇は定子との子・敦康親王あつやすしんのうを皇太子にすることを望んでいました。

ねこ先輩
ねこ先輩
一条天皇は定子LOVEだったもんね

しかし藤原行成ゆきなり読み(渡辺大知)は、

「道長が実権を握ってるから、それは止めたほうがいい。敦康親王の身を案じるなら、彰子との子(道長の孫)を皇太子にすべき」

的なことを進言します。

藤原行成は、一条天皇の蔵人頭くろうどのとう(上から4番目の地位)であり、一条朝の四納言の1人。

一条朝の四納言は、一条天皇時代に活躍した4人の公卿(上級の高官)のこと。

 

そのため、彰子との子で第二皇子である敦成親王あつひらしんのうが皇太子となり、道長は「次の天皇の祖父」という立ち場を手に入れたのでした。

 

三条天皇に譲位後、同年に一条天皇は出家しますが、出家して3日後に32歳という若さで亡くなります

そして前述の通り翌年、中宮・彰子(見上愛)が皇太后となったのです。

 

同年、道長は三条天皇に入内(結婚)させていた次女・妍子けんしを中宮にします。

ねこ先輩
ねこ先輩
既に彰子が皇太后になってるのに、道長は抜かりないね〜

 

三条天皇は長年の妻であった藤原済時なりときの娘・娍子せいしLOVEだったので、

  • 中宮→妍子けんし(道長の娘)
  • 皇后→娍子せいし

という、二后並立状態になったのです。

ねこ先輩
ねこ先輩

一条天皇のときの定子と彰子みたい

藤原済時は、一条天皇の時代、道長の兄・道隆(井浦新)を補佐してた人だよ

 

1013年、妍子けんし(道長の次女)は三条天皇の第三皇女となる禎子内親王ていしないしんのうを出産します。

皇子ではなかったので道長は悔しがりました。

ねこ先輩
ねこ先輩
長女と次女は三条天皇と皇后・娍子せいしの子だよ

 

死因

『光る君へ』の主人公・紫式部の亡くなるまでの年表だけ、抜き取ってみました。

紫式部時代背景
1014紫式部・死亡(45歳)

詳しく解説していきます♪

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紫式部が宮中を去ってからどうなったのかについては、未だ明らかになっていません

紫式部は以前から出家したがっていたようですが、念願の出家ができたのかも謎のまま。。。

 

亡くなる1014年頃、越後守をしている父・藤原為時(岸谷五朗)に和歌を送ったとされています。

そして、45歳ごろに亡くなったということですが、死因も不明です。

 

平安時代中期の貴族の推定平均寿命は、男性が50歳、女性が40歳という情報もありましたので、紫式部は割と長生きだったんですね。

 

時代背景

紫式部が宮中を去ってからの時代背景についても解説します。

 

紫式部の父・藤原為時(岸谷五朗)は1014年、越後守の任期を1年残して帰京します。

これは紫式部が直前に亡くなったからではないかと言われており、為時はその2年後に出家しました。

 

前述の通り、道長は次女・妍子けんしを三条天皇に嫁がせていましたが、妍子が産んだのは女の子だけ

その後も皇子に恵まれなかったため、道長は三条天皇に早く譲位するよう迫ります。

ねこ先輩
ねこ先輩
見限ったんだね

 

そのころ三条天皇は眼病を患っていたので、1016年、三条天皇は眼病などを理由に譲位し、後一条天皇(彰子の子、道長の孫)が即位します。

藤原道長(柄本佑)は9歳の天皇の外祖父として摂政となったのです。

ねこ先輩
ねこ先輩
それまでは内覧(関白と同じ感じ)だったね!

 

道長はその後、

三女・威子いしを後一条天皇(彰子の子、道長の孫)の中宮にする(1018年)

六女・嬉子きし敦良親王あつながしんのう(彰子の子、道長の孫であり、後の後朱雀天皇)に入内させる(1021年)

ということを行い、ますます地位を盤石にしていきました。

ねこ先輩
ねこ先輩
彰子は道長の長女だから、威子にとって後一条天皇は甥っ子、嬉子にとって敦良親王は甥っ子だね

 

最終的に、道長は4人の娘を天皇に嫁がせ、3人の天皇の祖父となったのです。

【天皇に嫁がせた4人の娘】

  • 彰子→一条天皇
  • 妍子→三条天皇
  • 威子→後一条天皇(彰子の子)
  • 嬉子→後朱雀天皇(彰子の子)

 

【道長の孫である天皇】

  • 彰子の子→後一条天皇、後朱雀天皇
  • 嬉子の子→後冷泉天皇ごれいぜいてんのう(第70代天皇)

 

1017年に摂政の座を長男・藤原頼通よりみちに譲りましたが、その後も頼通の後ろ盾となって影響力を持ち続けました。

藤原頼通は1067年に関白を辞任するまで権力を持っていましたが、頼通の娘は皇子を産むことができなかったため、その後、勢力は衰えていったのです。

 

4コマ風に超簡単まとめ!

紫式部の誕生『源氏物語』執筆開始彰子に仕え始める紫式部の死因

『光る君へ』の主人公・紫式部の生涯を、超簡単に4コマ風でまとめてみました♪

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詳しい詳細は、前述の解説をお読みください(*^^*)

 

光る君へ解説!

大河ドラマ『光る君へ』を見ていて、筆者が「ん?どういうこと?」と気になったことを調べて解説していきます!

 

用語解説

『光る君へ』で筆者が「何だその意味?」と思った用語と、その意味をまとめました!

50音順で並べていますので、参考にしていただければ幸いです(*^^*)

 

あ行

用語意味シーン
「秋風の 打ち吹くごとに 高砂の 尾上の鹿の 鳴かぬ日ぞなき」拾遺しゅうい和歌集』に収録されている、詠み人知らずの歌。

「秋風が吹くたび、高い山の山頂にいる鹿が、鳴かない日はない」

という意味。

 

超訳すると、

「飽き(秋)られたと感じるたびに、私は泣いてる」

14話の、伊周の妻選びの和歌の会で詠まれていた。
朝臣あそん飛鳥時代に制定された八つのかばね(その人の位階を示す称号)の中で、上から2番目。

1番目は主に皇族に与えられたため、朝臣は臣下の中で事実上の最高位。

平安時代は、公卿くぎょう(参議以上)は氏の下に「朝臣」という敬称がくっついた。

ex.)藤原朝臣道兼ふじわらのあそんみちかね
淡路守あわじのかみ兵庫県淡路島の国司(地方の国を治める役人)の中で1番上の階級。14話で、道隆一家に鯛をあげた人。
為政者いせいしゃ政治を行う者のこと。
「一念通天 率先垂範 温故知新 独学孤陋」一念通天→信じ続ければ、天に通じて成し遂げられるということ。

率先垂範そっせんすいはん→先頭に立って模範を示すこと。

温故知新→昔のことを調べたり考えたりすると、新しい道や知識を見いだせること。

独学孤陋どくがくころう→先生や友を持たずに独学で勉強すると、物の見方が偏ること。

9話で、惟規を大学に送り出す際、為時が言っていた。
一献いっこん傾けたい一緒にお酒を飲むこと。3話で道兼が道長に言っていた。
石見いわみの国現在の島根県西部(石見地方)。19話で、租税を1/4免除されていた国。
飲水病いんすいのやまい現代の糖尿病のこと。17話の、道隆の死因。

後に道長も同じ病で死亡する。

丑の刻現在の午前2時の前後2時間ごろのこと。花山天皇を内裏から連れ出した時間帯。
右大臣官職の1つ。

大雑把に分けると貴族の中で2番目に偉い。

1話で兼家が就いた官職。
うちき皇族や貴族の女性が着る着物の一つ。花山天皇を出家させる時、羽織らせていた。
卯の刻うのこく午前6時の前後2時間ごろ。9話で、散楽が出発する時間と言われていた。
右兵衛権佐うひょうえのごんのすけ天皇やその家族の護衛をする部署「兵衛府ひょうえふ」の役割の一つ。

次官であり、公卿への昇進コースであったため、上流貴族の子どもが多く任じられた。

2話時点の道長の官位。
梅壺うめつぼ女御にょうご梅壺は、天皇の后の住まい・後宮の一つで、庭に紅白の梅が植えてあったため梅壺。

女御は天皇の后。

天皇の后の位は、「皇后=中宮>女御にょうご>更衣」。

詮子(吉田羊)の呼び名。
えい慮天皇のお考えやお気持ちのこと。
越前今の福井県北部。
王維おうい唐(中国)の最盛期の高級官僚で、時代を代表する詩人。11話でF4が論じていた。
近江おうみ現在の滋賀県。15話で、まひろ&さわが行った石山寺がある場所。
おかしきことこそめでたけれ面白い(滑稽含む)ことこそ、心が引かれる。6話で直秀が言っていた。
お隠れ身分の高い人が亡くなったこと。
お上天皇の敬称。天皇の呼び方。
押し出しがいい容貌や態度が立派なこと道隆を褒める時に言っていた。
落としだね身分の高い男性が、正妻以外の身分の低い女に生ませた子。4話で「まひろは本当に帝の落としだね〜」と言っていた。
お召し「呼ぶ」「招く」の尊敬語。帝のお召しがない。
おもねるその人に気に入られようと、機嫌を取ったり媚びたりすること。
お渡り一夜を共にすること。

お通いも同じような意味。

今宵は天皇は〇〇様にお渡りよ〜
陰陽寮おんようりょう占いや天文、時、暦の編纂を担当する部署。

吉凶を占ったり、土地の良し悪しを判断したりもする。

安倍晴明がいる部署。

 

か行

用語意味シーン
加冠かかん男性の成人の儀式・元服げんぷくで、烏帽子えぼしを被せる役のこと。一条天皇の元服の加冠役は兼家だった。
科挙かきょ中国の高級官僚を登用するための試験制度のこと。

587年ごろ〜1905年の約1300年間にわたって行われた。

蜻蛉日記かげろうにっき兼家の妾・寧子やすこ(財前直見)が書いた日記。

  • 兼家との結婚生活
  • 兼家の正妻・時姫ときひめ(三石琴乃)との競争
  • 兼家に妾が次々とできること
  • 息子・道綱みちつな(上地雄輔)の成長や結婚
  • 和歌

などが書かれている。

女流日記のさきがけとされ、『源氏物語』にも影響を与えた。

6話で倫子サロンで議論していた、

「嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」

は、

「あなた(兼家)がいないのを嘆きながら一人孤独に寝て、夜が明けるまでの時間がどれほど長いか、あなたは分からないでしょう」

という意味。

かったつ広い心を持っており、小さいことにこだわらないさま。6話で公任の歌を褒める時、清少納言が言っていた。
彼の国かのくにポルトガルのこと。
漢詩中国の伝統的な詩。
官職朝廷での役職。職業。
関白成人した天皇を補佐する役割。

天皇が物事を決める前に、内容を吟味する権利があった。

帰去来の辞ききょらいのじ中国の文学者・陶淵明とうえんめいの詩。

世の中に嫌気が差し、役人の地位を捨てて故郷である田舎に帰るときの決意を歌ったもの。

10話で道長に漢詩を送る際、まひろが引用していた。
北の方様身分の高い人の妻の呼び方。

(寝殿造りにおいて、妻は「北の対」という場所に住んでいたから)

ちはやの呼び名。
牛車ぎっしゃ牛が引っ張る車。

男車と女車があり、男性が乗る時はすだれを上げ、女性の時は下げる。

「君や来む 我や行かむの いさよひに 真木の板戸も ささず寝にけり」『古今和歌集』に収録されている、詠み人知らずの歌。

「あなたは来るだろうか、それとも私が行こうかと悩んでいた。

そのうちに十六夜の月が見えてきて、扉を閉めるのも忘れて寝てしまった」

という意味。

11話で倫子サロンで取り上げられていた。
擬文章生ぎもんじょうしょう大学寮で詩文や歴史を学び、試験に合格した人のこと。

この後、式部省(大学寮を統括する省)が作った試験に合格すれば、文章生になれる。

15話で、惟規が合格していた。
京極京の端っこのこと。17話で、隆家が伊周に京極の女の所に行くのかと聞いていた。
公達きんだち皇族や、摂関家の子どものこと。8話で赤染衛門が直秀を褒める時に言っていた。
公卿くぎょう貴族の中でも、国政を担う最高の職位。

太政大臣、左大臣、右大臣、内大臣、大納言、中納言、参議といった高官を指す。

除目を行っていた人々。
薬師くすし医者。
蔵人くろうど事務を行う場所。

天皇の秘書的な役割をした。

2話時点の藤原実資の官職。
慶賀奏上けいがそうじょう官位を授けられた者が、参内して天皇にお礼・喜びを申し上げること。道兼は慶賀奏上から7日で死亡した。
家司けいしその一家の

  • 事業(土地の支配や商人の事業など)
  • 家事全体

を担当する職員のこと。

懸想けそう恋すること。3話で詮子が道長に「下々の女子に懸想して〜」と言っていた。
下人げにん身分が低い者や召使いのこと。

下男は男性の召使い、下女は女性の召使い。

検非違使けびいし京都の治安維持をする役職。
玄海福岡県と佐賀県の北西部に広がる玄界灘のこと。
玄輝門げんきもん内裏(天皇が住んでいる場所)の内側にある門のことであり、北正面にあった。花山天皇を出家させる時、通った場所。
研さんけんさん学問を深く究めること。3話で道長や公任が行っていた。
剣璽けんじ帝の証である、

  • 天叢雲剣あめのむらくものつるぎ
  • 八尺瓊勾玉やさかにのまがたま

を併せた名前であり、天皇であるためには剣璽をそばに置いておかないといけない。

花山天皇を出家させる際、道隆たちが持ち出していた。
元微之げんびし唐(中国)の詩人で、白居易(白楽天)の親友。6話で公任の歌を褒める時、清少納言が名前を出した。
元服げんぷく男性が成人になったことを示す儀式。

現代でいうと成人式的な。

鴻恩こうおん大きな恩。
後宮こうきゅう天皇の后が住む場所。
庚申待こうしんまち人の体には虫が住んでいて、庚申さるわたりの日(60日に1度)の夜に神のもとに行く。

そして、悪い行いを告げ口すると信じられていた。

そのため庚申の日は虫が体から抜け出さないよう、皆で寝ずに歌や楽器をして過ごした。

後涼殿こうりょうでん天皇の妻である女御にょうご更衣こういが住む場所。

女御や更衣の身分は、天皇の妻の中では低め。

香炉峰こうろほうの雪はすだれをかかげてみる」中国の詩人・白居易はくきょいの一説。

  • 香炉峰→中国にある山
  • 簾→屋外と部屋を仕切る御簾みす

という意味。

詳しくはこちらで解説。

16話で、定子が清少納言に投げかけた質問。
「声を尋ねて闇に問う 弾く者は誰そと 琵琶声停みて」唐(中国)の漢詩人・白楽天の『琵琶行』。

今は落ちぶれた琵琶の名手の演奏を、左遷された自分になぞらえて歌ったもの。

「誰が琵琶を弾いているのかと、そっと聞いてみたが、琵琶の音は止んでしまった」

という意味。

15話で、まひろが読んでいた漢詩。

「琵琶を弾く落ちぶれた女」に、自分自身を重ねた模様。

子飼い目をかけて養った部下。2話で為時が、「兼家の子飼いだから出世できないのか?」と話していた。
弘徽殿女御こきでんのにょうご弘徽殿は後宮(天皇の后の住居)で最も格の高い御殿。

女御は天皇の后のことで、天皇の后の位は、「皇后=中宮>女御>更衣」。

4話時点での花山天皇の妻・忯子よしこの呼び名。
古今和歌集こきんわかしゅう60代天皇・醍醐だいご天皇(円融天皇の祖父)の命により作られた最初の勅撰ちょくせん和歌集。

勅撰和歌集は、天皇や上皇の命で作られた歌集のこと。

全20巻であり、在原業平ありわらのなりひらや小野小町の歌が収録されている。

赤染衛門やまひろが暗記していた。
国司地方の国を治める役人。
国母こくも天皇の母のこと。
ご沙汰ごさた天皇の指示・命令のこと。
腰結こしゆい裳着において、女子に初めて裳(十二単の着物の一つ)を着せる役。

人望がある人が腰結に選ばれた。

2話でまひろの裳着の際、宣孝がまひろの前で何かやってたやつ。
五節の舞ごせちのまい
  • 大嘗祭だいじょうさい(天皇が皇位継承した時に行う皇室行事)
  • 新嘗祭にいなめさい(その年に収穫された穀物を天皇が神に供え、自らも食べる儀式)

の後に行われる饗宴きょうえん豊明節会とよあかりのせちえにおいて、歌謡に合わせて未婚の女性4〜5人で舞うこと。

4話でまひろが舞っていた。
ご不例体調が優れないことを敬う言い方。
高麗人こまびと朝鮮民族。2話で天皇に報告していた。
権大納言ごんだいなごん官職の一つで、大雑把に分けると3番目に身分が高い。

現代の国務大臣に相当する高官。

なお「権」は「仮」という意味。

4話で五節の舞姫になった1人の父親の官職。

15話時点での、道長&伊周の官職。

権中納言ごんちゅうなごん官職の一つで、大納言に次ぐ重職。

なお「権」は「仮」という意味。

8話時点の義懐よしちかの地位。

 

さ行

用語意味シーン
歳星さいせい二十八宿にじゅうはっしゅく氐宿ていしゅくを犯す日「木星がてんびん座α星にめちゃくちゃ近づく日」という意味。

歳星→木星

二十八宿→天球を28エリアに分割したもので、中国の天文学・占星術で用いられた

氐宿→てんびん座α星のことであり、婚礼・酒造・種蒔は吉だが、その他は凶とされる

花山天皇を出家させる日付けを決める際、言っていた。
朔平門さくへいもん内裏(天皇が住んでいる場所)の外側にある門のことであり、北正面にあった。花山天皇を出家させる時、牛車を待機させた場所。
左中将さちゅうじょう天皇やその家族の護衛をする部署の次官。12話時点での実資の職業。
散楽さんがく中国から伝わった芸能。

滑稽なモノマネや軽業、曲芸などを行う。

参議さんぎ貴族の中でも、国政を担う最高の職位(公卿)の中の1人。

公卿の中では低い地位だが、大雑把に分けると全体で4番目くらいに偉い。

7話時点の義懐よしちかの官職。

15話時点の道綱&公任の官職。

参内さんだい宮中に出仕すること。

出勤的な。

三位中将さんみちゅうじょう
  • 三位→従三位じゅさんみ(位階の一つで、上から6番目に偉い)
  • 中将→右近衛中将(天皇やその家族の護衛をする部署の次官)

という地位&役職のこと。

6話時点での道隆の呼び名。
史記しき中国の歴史家・司馬遷しばせんが編纂した歴史書。1話でまひろが興味を持った書物。
職御曹司しきのみぞうし皇后・皇太后・太皇太后に関する事務所がある場所。

内裏(天皇が住んでいる場所)の東北方に隣接していた。

15話で、詮子が追いやられた場所。
式部省しきぶしょう人事や礼式、役人養成機関である大学寮を統括する省のこと。

八省ある中で、2番目に重要な省とされている。

為時が望んでいた官職。
式部省試しきぶのしょうし式部省(大学寮を統括する省)が実施する試験。

擬文章生ぎもんじょうしょう(大学寮での試験に合格した人)に受験資格がある。

合格すれば、大多数は合格順で官職につける。

直盧じきろ
  • 帝の親族
  • 摂政
  • 関白
  • 大臣

などが宿直・休憩を行う個室のことで、事実上の執務室として使われる場合もある。

11話で兼家が使っていた。
獅子奮迅ししふんじんライオンが荒れ狂ったように、すごい勢いで奮闘すること。9話で、倫子サロンの姫が道長を褒める時に言っていた。
四条宮しじょうのみや関白(5話時点)・藤原頼忠よりただ公任きんとう(町田啓太)の邸宅。
四条万里小路しじょうまりのこうじ現在の柳馬場通やなぎのばんばどおり(京都市内の南北の通りの一つ)辺り。散楽をやっている広場の辺り。
昵懇じっこん親しい付き合いのある関係。
室礼替えしつらえがえ季節や行事に合わせ、お部屋に調度品や装飾品を置くこと。15話で、道隆が公費で定子の室礼替えをしようとしてた。
紫微垣しびえん北極星周囲の区画。

古代中国天文学で使われた名前。

1話冒頭、安倍晴明が言っていた。
除目じもく官職を任命する儀式。
長さの単位で、一尺=約30cm。道長を探す際、身長は6尺以上と言っていた=180cm以上。
12年に一度の犯木星の公転周期がほぼ12年。

=歳星が二十八宿の氐宿を犯す日も12年に1度ということ。

安倍晴明から花山天皇を退位させる日を提案され、兼家が言っていた。
従五位下じゅごいのげ位階の一つで、上から14番目に偉い。8話時点の道長の官位。

19話時点の為時の官位。

従四位下じゅしいのげ位階の一つで、上から10番目に偉い。12話時点での道綱の地位。
入内じゅだい天皇の后になること。

現代でいうと結婚。

従二位じゅにい位の一つで、上から4番目に偉い。8話時点の義懐よしちかの地位。
荀子じゅんし中国戦国時代末の思想家・儒学者(孔子を始祖とする思考・信仰を学ぶ人)。

「人間の本性は悪である」という「性悪説」を唱えた。

荘園しょうえん貴族が持っていた私有地。
荘園しょうえん整理令荘園からは税金を取れないため、

  • 荘園の新規設置を取り締まる
  • 違法な手続きで手に入れた荘園を停止させる

ことを行った法令。

60代天皇・醍醐だいご天皇(円融天皇の祖父)が最初に発令し、

  • 花山天皇(本郷奏多)
  • 後朱雀ごすざく天皇(道長の孫)
  • 後冷泉ごれいぜい天皇(〃)

も発令した。

第5話で花山天皇が発令していた。
貞観政要じょうがんせいよう唐(中国)の第2代皇帝・太宗たいそうの政治に関するやり取りを記録した書。

太宗は天下を統一し、優れた政治力を見せた皇帝である。

 

一条天皇が言っていた、

煬帝ようだいずいが滅びたのは、兵の備えを怠ったからではない。

民をおろそかにした政治を行ったからである」

的なことも書いてある。

 

隋は、唐の前に中国を統一していた王朝。

中国史を代表する暴君である第2代・煬帝の失政により、反乱が起きて滅亡した。

16話で、一条天皇が引用し、道隆に言っていた。
障気しょうき悪い空気。8話で安倍晴明が「障気が強い」と言っていた。
正四位下しょうしいのげ位階の1つで、上から8番目に偉い。12話時点での実資の地位。
上首尾じょうしゅび物事がうまくいっていること。詮子からの文に書かれていた。
少丞しょうじょう式部省の職員の1人で、高官。為時が望んでいた官職。
上奏じょうそう天皇に意見を言うこと。

奏上とも言う。

正二位しょうにい位の一つで、上から3番目に偉い。18話時点の道兼の官位。
笑裏蔵刀しょうりぞうとう表向きは優しいが、本当は腹黒いこと。11話で伊周が道隆を評していた。
正六位上しょうろくいのじょう位の一つで、上から15番目に偉い。19話時点の為時の官位。
叙爵じょしゃく上から14番目に偉い従五位下じゅごいのげを授けられ、貴族として認められること。19話で、為時が従五位下になった時に言っていた。
しれ者愚かなバカ者。花山天皇のこと。
新楽府しんがふ漢詩の形式の一つ。

中国の文学者・白居易はくきょいの『白氏文集はくしもんじゅう』の新楽府50篇は当時の政治・社会批判をしてる。

後に藤原行成が書写し、一条天皇に献上している。

18話で、惟規のぶのりが学生の間で流行っていると言っていた。
陣定じんのさだめ偉い人たちだけ(天皇は除く)で行われる重要な会議。

左大臣や右大臣、大納言、中納言、参議といった高官が出席。

外交や財政などを話し合う。

好き者物好きな人。花山天皇のこと。
素腹すばら妊娠しないこと。定子は「素腹の中宮」と呼ばれていた。
受領ずりょう国司(地方の国を治める役人)のうち、現地に行って行政責任を負う筆頭者のこと。
清涼殿せいりょうでん天皇が生活する御殿のこと。
赤痢せきり急性腸炎。

発熱や嘔吐、下痢といった症状が起きる。

平安時代、京やその周辺で大流行し、多くの子どもが亡くなったと言われている。

12話で実資が罹っていた。
詮議せんぎ罪人の取り調べや捜査のこと。9話で、「獄でたっぷり詮議」と言っていた。
千尋せんじんの谷1500mもの高さがあるような、非常に深い谷。19話で、まひろが為時に「千尋の谷に飛び込む気持ちで〜」と言っていた。
宣旨せんじ天皇の意向を伝えること。
践祚せんそ天皇の地位を受け継ぐこと。

なお即位は天皇になったことを宣言する儀式のことであり、践祚と即位は若干異なる。

そう中国のこと。
増長ぞうちょうつけ上がって高慢になること。2話で「兼家が増長しないように遵子を中宮にしたのでは?」的なことが言われていた。
束帯

束帯そくたい

平安時代の貴族の正装で、朝廷に出仕する時などに着る。

※女性の「十二単」の男性版

 

官位によって色が決まっている。

  • 四位(参議とか)以上→黒
  • 五位(少納言や国司)→濃い赤
  • 六位以下→青色

 

た行

用語意味シーン
タアハア トヲリョロおそらく、管楽器の横笛・龍笛りゅうてき(一条天皇が吹いてた)の楽譜に出てくる唱歌(歌詞)のこと。16話で、隆家が舞いながら歌っていた。
大学寮だいがくりょう式部省直轄の、官僚育成のための最高教育機関。
太政官だいじょうかん司法・行政・立法を司る最高行政機関。
太政大臣だいじょうだいじん1番偉いが、名誉職みたいなもの。12話時点での頼忠の地位。
太宗たいそう唐(中国)の第2代皇帝のこと。

天下を統一し、優れた政治力を見せた。

6話で公任の歌を褒める時に名前が出てきた。
大納言官職の1つ。

大雑把に分けると貴族の中で3番目に偉い。

1話冒頭時点での兼家の官職。

16話時点での道長の官職。

内裏だいり天皇が住んでいる私的区域。
高辻富小路たかつじとみのこうじ京都の地名。まひろが代筆をしてた絵師がいる場所。
高松殿明子の父・源高明たかあきらの邸宅のこと。

明子はここに住んでいるため、「高松殿」と呼ばれることもある。

高御座たかみくら天皇の玉座。
打毬だきゅう白組・赤組で戦う団体戦。

地面に置かれた自分の組の色の球を、乗馬した状態で網付きの棒ですくってゴールに入れる。

現代の「ポロ」に似た感じ。

馬&棒付きの「玉入れ」っぽいルールでもある。

竹取物語たけとりものがたり平安時代前期に成立し、「現存する日本最古の物語」とされている。

作者は不明。

現代では『かぐや姫』というタイトルで知られる。

4話で倫子サロンで取り上げられていた。
大宰少弐だざいのしょうに筑前(福岡県北西部)に設置された地方行政機関・大宰府の次官。18話時点の宣孝のぶたかの官職。
大宰府だざいふ筑前(福岡県北西部)に設置された地方行政機関。

軍事や外交をした。

2話で天皇に報告していた。
たつの日の刻12日に一度巡ってくる十二支が辰にあたる日の、午前9時~午前11時ごろ。1話のまひろと三郎の待ち合わせ日。
丹後たんご現在の京都府北部。
ちぎっている一夜を共にすること。
筑前現在の福岡県北西部。2話で天皇に報告していた。
筑前守ちくぜんのかみ筑前(福岡県北西部)の国司(地方の国を治める役人)の中で1番上の階級。14話で、宣孝が就任。
嫡妻ちゃくさい正妻、正室。
嫡男ちゃくなん正妻が産んだ最初の男子。
中宮ちゅうぐう天皇の后で、正室的な感じ。

天皇の后の位は、「皇后=中宮>女御にょうご>更衣」。

2話で遵子のぶこが円融天皇の中宮になっていた。
中宮大夫ちゅうぐうだいぶ中宮の身の回りの世話をする役所「中宮職ちゅうぐうしき」の長官。15話時点の、道長の役職。
注進ちゅうしん事件や出来事を報告すること。
中納言官職の1つ。

大雑把に分けると貴族の中で3番目に偉い。

為時の祖父の官職。
仲尼 昔夢 周公 久ヂョンニイ シイモン ヂョンコウ ジウ〜」平安中期の漢詩集『本朝麗藻ほんちょうれいそう』に収められている、為時自作の漢詩。

「儒家の始祖・孔子は昔、中国周王朝の政治家・周公に憧れ、長い間夢に見てきた。

しかし、優れた知恵のある者の時代が過ぎたとは言わないでくれ」

という意味。

要するに、「あなたの時代は終わっていませんよ」と言いたい。

9話で、為時が花山天皇に対して読んでいた中国語。
ちん天皇の一人称。
筑紫つくし現在の九州地方。
土御門殿つちみかどどの左大臣・源雅信の邸宅であり、倫子らが住んでいる。

後に道長の邸宅となり、詮子や道長の娘・彰子もここに住んだ。

つばき餅

つばき餅

柏餅や桜餅の前身ともいえる和菓子。

平安時代から食べられていたと言われており、『源氏物語』にも登場する。

一条天皇が好きなもの。
つぼね宮中などの御殿の中で、仕切りで作った部屋のこと。
手習い文字の練習、習字のこと。13話で、一条天皇が嫌がっていた。
天蓬の星てんほうのほし北斗七星の第1星(おおぐま座のα星)。1話冒頭、安倍晴明が言っていた。
陶淵明とうえんめい中国の文学者。10話で道長に漢詩を送る際、まひろが引用していた。
登華殿とうかでん後宮(天皇の后が住む場所)の御殿の一つ。15話で、定子が住んでいた。
東宮とうぐう皇太子。
藤宰相とうのさいしょう官職の一つで、大雑把に分けると4番目に身分が高い。

なお「藤」は「藤原氏の」という意味。

4話で五節の舞姫になった1人の父親の官職。
頭中将とうのちゅうじょう
  • 蔵人頭くろうどのとう(事務を行う場所の長)
  • 近衛中将このえちゅうじょう(天皇やその家族の護衛をする部署の次官)

を兼任する人のこと。

3話時点での実資の、15話時点での公任の官職。
咎人とがびと罪を犯した人。「母を殺害した咎人〜(=道兼のこと)」。
読書始貴族の男子が、初めて学習を開始する時に行われる儀式。1話で兼家と為時が花山天皇の読書始について話していた。
得度とくど出家すること。
宿直とのい宮中や役所・貴族の邸宅の警備のため、宿泊勤務をする役目のこと。

夜勤的な感じ。

3話で道長、公任、斉信がしていた。
殿御とのご恋人や夫のこと。2話で詮子が円融天皇のことを殿御と呼んでいた。
寅の刻現在の午前4時の前後2時間ごろのこと。花山天皇を出家させた時間帯。
鳥辺野とりべの平安京の三大葬送地(死者を火葬場や墓地に送り出す場所)の一つ。

『源氏物語』にも登場し、現代でいうと、

  • 現在の地(清水寺から大谷本廟に通じるあたり)から阿弥陀ヶ峰にかけての地域
  • 現在の五条坂付近から今熊野付近にかけての地域
  • 阿弥陀ヶ峰西麓一帯

が平安時代の鳥辺野の範囲とされている。

藤原道長もここで火葬され、藤原定子もここに埋葬された。

9話で、散楽が殺害された場所。

 

な行

用語意味シーン
内侍所ないしどころ天皇の側で伝達や取りつぎ、宮中の礼式・雑事などを行う女官・内侍司ないしのつかさがいる場所。3話で実資が見聞していた。
典侍ないしのすけ天皇のそばで仕える秘書的な役割の役所・内侍司ないしのつかさの次官。

女官で構成されており、学問・礼法に通じた有能な女性が多く任命された。

天皇が出かける際、帝の証である剣璽けんじを持つ役目もあった。

10話で道隆たちに剣璽を渡した人。
内大臣左大臣・右大臣に次ぐ官職のこと。13話時点での道隆の官職。

16話時点での伊周の官職。

内覧天皇が見たり許可を与えたりする必要がある文書を、天皇より先に見る役職のこと。

謂わば「政治を取り仕切る役目」であり、関白と同じ様な権限を持っている。

17話時点での、伊周の官職。
中関白家なかのかんぱくけ道隆の家系のこと。(道隆、伊周、定子、隆家etc.)

道隆一家は、摂関政治を行った

  • 父・兼家
  • 弟・道長

の中継ぎとされているため、「中関白家」と呼ばれている。

西洞院にしのとういん京都市の主要な南北の通りの一つ。

平安京では、幅24mの大通りだった。

17話で、隆家が伊周に西洞院の女の所に行くのかと聞いていた。
二条第にじょうてい伊周これちかが住んでいた場所。
女院にょいん太上天皇だいじょうてんのう(譲位して天皇を後継者に譲った天皇)に準ずる待遇を受けた女性のこと。

元々、皇后や皇太后、太皇太后は出家したら后妃の待遇は停止すると決まっていた。

しかし、当時皇太后だった詮子が出家すると、一条天皇の命令で「女院」となった。

16話で、詮子は女院になっていた。
女御にょうご天皇の后。

天皇の后の位は、「皇后=中宮>女御>更衣」。

女房宮中や貴族に仕えた女性のことで、主人の身の回りのお世話や教育をした。
布一反ぬのいったん生地の長さの単位。

着物の生地の場合、1着の着物を仕立てられる長さであり、約12mくらい。

13話で、子どもが売られた値段。
ねや寝室。1話で宮中での噂話に出てきた。
直衣

直衣のうし

平安時代以降の、男性の皇族や貴族の普段着。16話、伊周は一条天皇の前で直衣だった=天皇の前なのにカジュアルな服だった。

 

は〜わ行

用語意味シーン
陪膳ばいぜん天皇の食事の際、給仕をする人のこと。2話で道兼が円融天皇に薬を盛らせた。
博多の津現在の福岡市の博多港のこと。
馬鹿の語源『史記』の「指鹿為しかをさしてうまとなす1話でまひろが三郎に話していた。
白氏文集はくしもんじゅう中国の文学者・白居易はくきょい白楽天はくらくてん)の詩文集。

後に紫式部は、彰子あきこ(道長の娘)に『白氏文集』をこっそり教えた

18話で、惟規のぶのりが学生の間で流行っていると言っていた。
白楽天はくらくてん唐(中国)の漢詩人・白居易はくきょいのこと。6話で公任の歌を褒める時、まひろが名前を出した。
跋扈ばっこのさばっている。2話で関白が、「盗賊が跋扈している」と言っていた。
播磨権少掾はりまのくにごんのしょうじょう播磨(現在の兵庫県)の国司(地方の国を治める役人)の第三等官。為時の過去の官職。
萬機ばんき重要な政務のことで、主に天皇の政務を指す。
東三条殿ひがしさんじょうどの兼家の邸宅。

詮子にとっては実家。

東三条殿に下がる=実家に帰る
肥後守ひごのかみ現在の熊本県の国司(地方の国を治める役人)の中で1番上の階級。ききょうの父は、肥後守就任中に死亡した。
肥前ひぜん現在の佐賀県と長崎県のこと。さわは、父親と共に肥前に行った。
悲田院ひでんいん貧しい人や孤児、身寄りのない老人を救うために作られた福祉施設。16話で、疫病に罹った人が大勢いた。
人に忍びざるの心有り中国戦国時代の儒教(孔子を始祖とする思考)の思想家・孟子もうしの教え。

他人の不幸を見過ごせない気持ちがあるという考え方。

3話で公任が暗唱していた。
「人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな」藤原兼輔かねすけ(紫式部の曾祖父)が詠んだ和歌。

「子を持つ親の心は闇というわけではないが、親は子どものことになると、道に迷ったかのように混乱してしまう」という意味。

2話でまひろが写本してた。
不動明王のご真言ふどうみょうおうのごしんげん不動明王は、仏教の信仰対象。

真言は、仏の言葉・真理を表す秘密の言葉。

不動明王の真言は「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」。

5話で僧が、まひろのためにやれと言っていた。
ふんまんイライラすること。
別当べっとう検非違使庁や蔵人所などの責任者。
へんつぎ女性や子どもが漢字の知識を競い合った遊び。

  • 漢字のつくりに偏を付けて文字を完成させる(日+月=明)
  • つくりに偏を付けて読み方を答えさせる
  • 詩文の中にある一文字のつくりだけを見せて、偏を当てさせる

といった説がある。

現代でも似たようなゲームがある。

3話でまひろや倫子が遊んでいた。
伯耆ほうきの国現在の鳥取県中部・西部。19話で、租税を1/4免除されていた国。
放免ほうめん検非違使の下僕。

元罪人で放免になった者で、犯罪者を探索し、拷問や獄守を担当した。

2話で道長を捕らえていた人々。
墨子ぼくし諸子百家しょしひゃっか(中国の春秋戦国時代にの学者・学派)の一つ・墨家ぼくかを開いた人。

平和主義・博愛主義を説いた。

堀川京都市の主要な南北の通りの一つであり、沿道には紫式部の墓や晴明神社がある。17話で、隆家が伊周に堀川の女の所に行くのかと聞いていた。
松虫現代で言うと「鈴虫」のこと。

平安時代は「松虫」と「鈴虫」の呼び方が逆だった。

どちらも童謡「虫のこえ」の歌詞にも出てくる。

一条天皇が好きなもの。
御髪みぐしを下ろす皇族や貴族など、位が高い人が出家すること。
御位みくらい天皇の位のこと。
みことのり天皇の命令を書いた文書のこと。
水ごり神仏に祈願する際、冷水を浴びて体の穢れを洗い落とし、心身を清めること。5話で僧が、まひろのためにやれと言っていた。
御嶽詣みたけもうで現在の奈良県吉野郡にある金峰山寺きんぶせんじに参拝に行くこと。

修験道しゅげんどう(日本独自の宗教の形態で、山に籠もって厳しい修行をし、悟りを開く)の聖地。

ご利益があると人気だった。

13話で、宣孝が派手派手な格好で参拝した。

『枕草子』にも書かれているが、服はちょっと違う模様。

高明たかあきら醍醐だいご天皇(円融天皇の祖父)の第十皇子。道長の妻の1人・源明子の父。
身まかられる亡くなること。
御代みよ天皇の在位期間。
むつ言男女の寝室での会話。
乳母子めのとご母親に代わり、高貴な子どもを養育する女性=乳母。

「乳母子」は乳母の実の子ども。

藤原惟成これしげは花山天皇の乳母子。
蒙求もうぎゅう伝統的な中国の初学者向け教科書。1話でまひろが三郎に言っていた漢文。
申文下位の者が朝廷に希望を書いて差し出す手紙のこと。19話で、為時が官職をもらうために書いていた。
孟嘗君もうしょうくん中国の戦国時代に活躍した4人の人物・戦国四君の1人。2話で為時が太郎に出した問題の答え。
裳着もぎ女性が成人になったことを示す儀式。

現代でいうと成人式的な。

盛明親王もりあきらしんのう醍醐天皇の第十五皇子で、明子の父・源高明の弟。

高明の失脚後、明子の養父となった。

文章生もんじょうしょう大学寮で紀伝道(歴史・中国史)を専攻した学生のこと。

擬文章生のうち、さらに式部省(大学寮を統括する省)が作った試験に合格すればなれる。

湯あみ身体や髪を洗うこと。帝が来るから湯あみまでされたんですって〜
「世の中は 夢かうつつか 現とも 夢とも知らず ありてなければ」『古今和歌集』に収録されている、詠み人知らずの歌。

「この世の中は、夢なのか現実なのか、現実なのか夢なのか分からない。

この世が存在しているのか、存在していないのかさえ分からない」

という意味。

14話で、道兼が踊りながら歌っていた。
寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔「近くに来て、はっきりご覧になったらいかがですか?黄昏の時にうっすら見えた夕顔の花を」という意味。

『源氏物語』の中で、夕顔から「あなたはもしかして光源氏ですか?」という歌を贈られ、光源氏が返したのがこの歌。

「会ってみませんか?」という意味になる。

夕顔について詳しくはこちら

2話でまひろが代筆した和歌。
夜御殿よるのおとど天皇の寝室。
螺鈿細工

螺鈿細工らでんざいく厨子棚ずしだな

※画像は螺鈿細工のイメージ

螺鈿細工→貝を使った装飾技法で、数ある工芸品の中でも特に美しいとされている。

厨子棚→書籍などを入れる置き棚。

定子が欲しがっていたが、道長に却下されていた。
ろく給与。
六位大雑把に分けて、6番目の位階(6番目に身分が高い)。

地下じげと呼ばれる。

4話時点での為時の位階。
六条京都の地名。5話で、まひろが道長を待っていた場所。
論語中国の思想家・孔子の教えを記録した書物。1話で為時が花山天皇に読んでいた書物。
若狭わかさ現在の福井県南部。19話で、宋人(中国人)が来航した場所。
忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな道隆の妻・貴子の歌で、『新古今和歌集』にも収録されている。

 

「『いつまでも忘れない』と言うけれど、ずっと想いが変わらないのは難しいでしょう。

だから、この言葉を言われた幸せな今日、命が尽きてしまえばいいのに」

という意味。

 

超訳すると、

「どうせ心変わりしちゃうでしょ。。。?だから幸せなうちに死にたいの」

17話で、道隆が死の直前、貴子に向けて話していた。

 

出来事解説

『光る君へ』で筆者が「何だその事件・出来事?詳しく知りたい!」と思った出来事をまとめました!

 

安倍晴明の屋敷に落雷(1話)

1話で安倍晴明あべのはるあきら(ユースケ・サンタマリア)の屋敷が落雷の被害に遭い、火事になっていましたよね(><)

兼家(段田安則)が「吉凶を占うやつなのに、自分のことは占えないのか?」的なことを言っていて「確かに」と思ったので、「本当に起こったのかな?」と思い、調べてみました!

ねこ先輩
ねこ先輩
兼家は、安倍晴明に頼んだのに、遵子が詮子より先に円融天皇に入内したことを根に持って皮肉ったんだと思うけど

 

実際987年、安倍晴明の屋敷に落雷し、家の一部が破損したという事件が起こったそうです!

 

『光る君へ』では978年の秋の初め、藤原詮子あきこ(吉田羊)が入内した日の夜に、安倍晴明の屋敷に落雷したという設定になっています。

安倍晴明の屋敷に落雷したのは事実ですが、起こった年が違いますね。

 

安倍晴明→「予言した凶事は落雷ではなく、これから」

兼家→「『慶事の折の雨風は吉兆』と広めよ」と対処

していました。

もっとヤバいことが起こる&兼家の頭が切れることを表すために、史実と年をズラしたのではないでしょうか?

ねこ先輩
ねこ先輩
兼家は頭が切れるっていうか、狡猾でヤベーって思った(^_^;) 

 

散楽が盗賊で、倫子の家を荒らしたのは本当?(4話)

4話で直秀ら散楽が、倫子ともこ(黒木華)の家・土御門殿つちみかどどのに押し入り、盗賊として物を盗んでいました。

当時の散楽が盗賊家業をしていたり、土御門殿に盗賊が入られたりしたのは本当かな?と思ったので、調べてみました!

 

結果、散楽が盗賊をしていたり、土御門殿に盗賊が入られたりしたという記録は見つかりませんでしたが、参考にしたと思われる事件はあります!

 

散楽は庶民性の強さや下品さから、奈良時代末期には一時廃止されたそうですが、別に盗賊などをしていたという情報はありませんでした。

しかし『光る君へ』の散楽の一座の座頭(一座の長)・輔保すけやすは、藤原保輔やすすけをモデルにしているのではないかと考えれます!

ねこ先輩
ねこ先輩
名前が逆になってるだけで、漢字も同じ!

輔保のキャストは、この記事で紹介してるよ♪

アイキャッチ画像
光る君へキャスト・家系図・相関図は?一覧を画像付きで紹介!子役も!今回は、光る君へキャスト・家系図・相関図は?一覧を画像付きで紹介!子役も!と題してお届けします。 毎週日曜日20:00〜放送されて...

 

【藤原保輔やすすけとは?】

平安時代中期の貴族であったが、盗賊としても有名で、袴垂はかまだれ保輔という伝説の人物でもある。

 

土御門殿で開かれた大規模な宴会で、傷害事件を起こす

兄を逮捕した役人を射る

藤原景斉という人物の屋敷で強盗を行う

といった罪を重ね、逮捕した者には恩賞を与えると発表された。

ねこ先輩
ねこ先輩
今で言うと、懸賞金をかけられたみたいなものだね!

 

父親も監禁され、危機感を持った保輔は出家するが、友人に密告されて逮捕される。

逮捕の際、保輔はお腹を刀で傷つけて自害を図り、その傷が原因で獄中で死亡した。

これは記録に残る日本最古の切腹の事例とされている。

 

『光る君へ』では、

  • 土御門殿で傷害事件
  • 藤原景斉という人物の屋敷で強盗

といった出来事を掛け合わせ、「輔保率いる散楽が土御門殿で強盗」という事件にしたのではないかと思われます。

ねこ先輩
ねこ先輩
保輔が土御門殿で傷害事件を起こしたのは985年で、『光る君へ』では984年だから、年も近いね

 

史実によると保輔は切腹で亡くなったということですが、『光る君へ』の直秀を含め、散楽メンバーはどうなってしまうのでしょうか(><)

 

漢詩の会の歌の超訳と引用元(6話)

6話で道隆(井浦新)が開いた「漢詩の会」。

ねこ先輩
ねこ先輩
漢詩は、中国の伝統的な詩のことだよ!

 

お題は「酒」であり、

  • 道長
  • 公任
  • 斉信
  • 行成

の選んだ歌が詠まれていました。

ねこ先輩
ねこ先輩
自分で作った歌じゃなくて、お題に添った歌を誰かから引用してたね

 

何となく「恋の歌かな〜」「出世したいのかな〜」くらいは分かったのですが、どういう意味か分からないものが多かったので、調べてみました!

 

①行成(渡辺大知)

【原文】

獨酌花前醉憶君 與君春別又逢春 惆悵銀杯來處重 不曾盛酒勸閒人

 

【意味・超訳】

親友が戻らないことを嘆く歌

「独りで酔って君を思い出している。去年の春に君と別れて、また春がやってきたのに、親友はまだ戻らないな〜。

親友がくれた銀の盃は立派なので、酒を入れて僕に勧めてくれる人もいない・・・」

 

【引用元】

中国の詩人・白居易はくきょい(白楽天)の「独酌憶微之」

親友とは、同じく中国の詩人である元微之げんびしを指している。

ねこ先輩
ねこ先輩
白楽天も元微之も、公任の歌を褒める時、まひろと清少納言が名前を出してたね!

 

親友に向けた歌ですが、恋の歌としても使えますよね。

行成に別れた親友がいたという情報はありませんでしたし、恋をしている様子もありませんでしたので、誰に向けた歌なのか気になります(><)

 

②斉信(はんにゃ金田)

【原文】

酒盞酌來須滿滿 花枝看即落紛紛 莫言三十是年少 百歲三分已一分

 

【意味・超訳】

自分で酒を勧める歌。

「酒を並々と注いでくれ!早くしないと花が散ってしまう。30歳を『まだ若い』なんて言うな!既に人生の1/3は過ぎてしまったんだ!」

 

【引用元】

中国の詩人・白居易はくきょいの「花下自勸酒」

 

要は、出世できないことを焦っているのかな?と思いました。

花山天皇の妻である妹に出世をお願いしていましたが、妹は亡くなってしまい、出世の道が遠のいてしまいましたもんね(^_^;)

 

③道長(柄本佑)

【原文】

賜酒盈杯誰共持 宮花滿把獨相思 相思只傍花邊立 盡日吟君詠菊詩

 

【意味・超訳】

親友を思って詠った歌。

「9月9日・重陽ちょうようの節句で、天皇からもらったお酒はいっぱいあるけど、一体誰とこの酒を飲めばいいんだ(><)

宮中に生えてる菊の花を手のひらいっぱいに掴み、1人で君のことを思っている。

君を思いながら菊の花のそばに立ち、1日中、君が作った『菊の花の歌』を口ずさんでいる」

 

【引用元】

中国の詩人・白居易はくきょいの「禁中九月対菊花酒憶元九」

こちらも、同じく中国の詩人である元微之げんびしを思って詠った歌。

 

親友に向けた歌ですが、道長は恋の歌として使っていましたね。

要は、まひろに「大好きだよ!!」と伝えたかったということでしょう(笑)

ねこ先輩
ねこ先輩
菊の花は黄色いから、いつも黄色い着物のまひろにかけたのかな?

 

まひろは道長が選んだ歌で頭がいっぱいだったから、公任について聞かれた時も、道長の歌の引用元である白楽天(白居易)の名前を出していたんですね。

ねこ先輩
ねこ先輩
清少納言(ききょう)に「違う」って言われてたよね(笑)

 

④公任(町田啓太)

【原文】

一時過境無俗物 莫道醺々漫酔吟 聖明治蹟何相致 貞観遺風觸眼看

 

【意味・超訳】

「目に通過するものは、風流なものばっかり。酒に酔って歌を詠っているとは言わないでくれ。

優れた君主である中国の唐の第2代皇帝・太宗たいそうが治めている平和な世の中を、改める必要もない」

ねこ先輩
ねこ先輩
太宗は天下を統一し、優れた政治力を見せたって言われてるよ!

 

【引用元】

引用ではなく、自作の詩。

平安中期の漢詩集・『本朝麗藻ほんちょうれいそう』には、公任の歌として上記のものが書かれているため、自作の歌である。

 

その後、道隆が「太宗を使って今の天皇が盤石であることを表している」的なことを言っていたので、公任は「太宗=花山天皇(本郷奏多)」と意味で詠んだのでしょう。

要は、「オレ別に酔って言ってるわけじゃないんだけど、天皇は花山天皇のままで良くない?」ということだと思います。

 

公任の父親である関白・藤原頼忠よりただも、兼家と一緒になって花山天皇の退位を望んでいたはずなのに何でだろう?と思ったのですが・・・

公任はその後、花山天皇が退位し、一条天皇(塩野瑛久)が即位したことにより、父親が関白を辞め、昇進がずーっと停滞しちゃうんです(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
公任はF4の中で1番偉かったのに、花山天皇退位後、道長に抜かされちゃう(><)

 

そのため、花山天皇退位後に公任が出世できなくなったことを暗に匂わせているのかもしれないと思いました!

ねこ先輩
ねこ先輩
そうだったら、脚本家の大石静さんすげーな 

 

道長がまひろに送った歌の意味(6話)

6話のラストで道長がまひろに歌を送っていました。

「恋の歌だろうな〜」ということは分かったのですが、詳しい意味も理解したかったので調べてみました!

 

【原文】

ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 恋しき人の みまく欲しさに

 

【意味】

「神社の神聖な垣も超えてしまいそうです。恋しいあなたを見たくて」

 

【超訳】

「身分や障壁すら超えてしまいたくなるほど、まひろが好きだ!会いたい!!」

 

【引用元】

平安時代中期に成立した現存する日本の歌物語中最古の作品『伊勢物語いせものがたり』の、

「ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 大宮人の 見まくほしさに」

をアレンジしたもの。

ねこ先輩
ねこ先輩
「大宮人の」は、宮中に仕えてる人って意味だよ

 

道長は和歌や漢詩が苦手だと言っていたのに、漢詩の会でも恋の歌を選び、その後にも恋の歌を送るなんて、よっぽどまひろが好きなんですね〜

ねこ先輩
ねこ先輩
身分違いの恋っていいよね〜

 

史実では、道長は倫子ともこ(黒木華)と、まひろは宣孝のぶたか(佐々木蔵之介)と結婚することになります。

こんなに愛し合っていた2人が、お互い別の人と結婚してしまうなんて切なすぎます(><)

 

 

まひろと道長の和歌・漢詩のやり取りの超訳(10話)

10話で、

  • 道長→まひろに和歌を贈る
  • まひろ→漢詩で返す

というやり取りをしていました。

 

話している現代語のセリフにより、何とな〜く「道長は『会いたい』って言ってるけど、まひろはあしらってるな〜」くらいは分かったのですが・・・

もっと深く理解したいと思い、調べてみました!

それぞれの超訳は筆者の解釈ですので、参考程度にしていただければ幸いです。

この他まひろの気持ちについては、

  • 直秀のことから立ち直れない道長に対し、叱咤激励している
  • 陶淵明のように、役人の道を捨てて生きてほしいと思っていた

という解釈もあるようです。

 

道長→まひろに贈った和歌

【原文】

「思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 色には出でじと 思ひしものを」

 

【意味・超訳】

「ひっそり思いつつ耐え忍ぼうとしたが、耐え忍ぶ心が負けてしまった。表には出すまいと思っていたのに」

道長
道長
気持ちを抑えないとって思ってたけど、まひろのことが好きすぎて、恋心が抑えきれない!!

 

【引用元】

60代天皇・醍醐だいご天皇の命により作られた、勅撰ちょくせん和歌集(天皇や上皇の命で作られた歌集)『古今和歌集』の「巻第十一 恋歌一」503番・ 詠み人知らず

恋の始まりを現す歌を集めている巻から引用した歌で、作者は不明

 

まひろと道長は身分違いの恋なので、「好きだ」という気持ちを隠さないといけないけれど、それが抑えられないということですね(><)♡

ねこ先輩
ねこ先輩
まぁ妾にするんだったら身分はあんまり関係ないと思うけど

 

まひろ→道長に返した漢詩

【原文】

「既自以心爲形役 奚惆悵而獨悲」

 

【意味・超訳】

「今まで精神を肉体の奴隷にしてきたのだから、もう1人でくよくよと嘆いたって仕方ない」

まひろ
まひろ
1人でくよくよ言っていたって仕方ないでしょ?

 

【引用元】

中国の文学者・陶淵明とうえんめいの代表作「帰去来の辞ききょらいのじ

歳を重ねて世の中に嫌気が差し、役人の地位を捨てて故郷である田舎に帰るときの決意を歌ったもの。

 

陶淵明自身は、

「世に嫌気が差した心を奴隷にし(心に蓋をし)、今まで役人として生きてきたのだから、(田舎に帰ることを)もう1人でくよくよと嘆いたって仕方ない」

と、決意していたということだと思われます。

まひろが引用したということは、道長の「好きだ」という気持ちをあしらっていると取れますね。

 

道長→まひろに返した和歌

【原文】

「死ぬる命 生きもやすると 試みに 玉の緒ばかり 逢はむと言はなむ」

 

【意味・超訳】

「あなたを想って今にも死にそうな私の命が生き延びることもあるかもしれないから、試しにでもいいから『少し会おう』と言ってほしい」

道長
道長
まひろに会えなくて死にそうだ!!

お願いだから「ちょっと会おう」と言ってくれ!!

 

【引用元】

『古今和歌集』の「巻第十二 恋歌二」568番・ 藤原興風おきかぜ

恋の始まりを現す歌を集めている巻から引用した歌。

藤原興風は平安時代前期の歌人であり、官位は低かったが、『古今和歌集』の時代の代表的な歌人であり、管弦(音楽)にも秀でていた。

 

平成では「会いたくて震える」がありましたが、平安では「会いたくて死にそう」があったんですね〜(笑)

ねこ先輩
ねこ先輩
「道長、まひろのことめっちゃ好きじゃん(笑)」って思ってた

 

まひろ→道長に返した漢詩

【原文】

「悟已往之不諫 知來者之可追」

 

【意味・超訳】

「過去は変えられず、今更後悔しても仕方ないと悟り、未来は変えられると知った」

まひろ
まひろ
直秀のことは、もうどうしようもできないわ。

でも、未来を変えましょう

 

【引用元】

陶淵明とうえんめいの「帰去来の辞ききょらいのじ

歳を重ねて世の中に嫌気が差し、役人の地位を捨てて故郷である田舎に帰るときの決意を歌ったもの。

 

陶淵明は「(役人として生き、役人の地位を捨てた)過去は変えられないが、未来(田舎に帰った後)は変えられる」と、決意していたということだと思われます。

道長が「会いたい」と言っているにも関わらず、まひろは直秀のことを持ち出しており、後のシーンで言っていたように「未来を変えてください」と言っていますね。

 

道長→まひろに返した和歌

【原文】

「命やは 何ぞは露の あだものを 逢ふにしかへば 惜しからなくに」

 

【意味・超訳】

「命が何だというのだ。所詮は露のように儚いもの。命と引換えにあなたに会えるのであれば、命なぞ惜しくはない」

道長
道長
まひろに会えるなら死んでもいい!!

 

【引用元】

『古今和歌集』の「巻第十二 恋歌二」615番・ 紀友則きのとものり

恋の始まりを現す歌を集めている巻から引用した歌。

紀友則は平安時代前期の歌人であり、40歳過ぎまで無官だったが、和歌は優れていた。

『古今和歌集』の撰者(和歌を選び集める人)の1人でもある。

 

前回の和歌に続き、ひたすらまひろに会いたがっていますね〜

 

まひろ→道長に返した漢詩

【原文】

「實迷途其未遠 覺今是而昨非」

 

【意味・超訳】

「人生の道を間違ったが、まだ遠くまでは来ていないから引き返せる。今が正しく、昨日までは間違っていたと気づいたのだから」

まひろ
まひろ
今ならまだ引き返せるわ。間違いに気づいて

 

【引用元】

陶淵明とうえんめいの「帰去来の辞ききょらいのじ

歳を重ねて世の中に嫌気が差し、役人の地位を捨てて故郷である田舎に帰るときの決意を歌ったもの。

 

陶淵明は「(役人として生きた)人生は間違っていたが、まだ引き返せる。(田舎に帰ることを決意した)今が正しい」と、決意していたということだと思われます。

まひろは「私を想ってくださる気持ちも、今ならまだ引き返せるわ」と言いたかったのかもしれませんね。。。

 

道長→まひろに返した漢詩

【原文】

「我亦欲相見君」

 

【意味・超訳】

「私はまた、あなたに会いたい」

道長
道長
会いたい

 

【引用元】

道長の自作(ドラマオリジナル)?

 

道長が行成(渡辺大知)に相談した際、

  • 和歌→心を表すもの
  • 漢詩→志を表すもの

というアドバイスをもらっていました。

まひろが、ひたすら漢詩を返してくるのに対し、道長も漢詩で返したところ、まひろも会うことを了承したようで、ついに会えましたね。

 

しかし2人が会った時も、

道長「一緒に都を出よう」→心

まひろ「あなたは偉くなって、この国を変えて」→志

と、それぞれの想いは、和歌と漢詩のやり取りをしていた時のままでした。。。

 

まひろも「あなたと一緒にひっそり暮らせたら、どんなに幸せか」的なことを言っていたので、心は道長と同じだったということでしょう。

しかし、まひろは「志」を優先したということですね。

ねこ先輩
ねこ先輩
直秀の死があったから「志」を優先したんだと思うけど、まひろの精神年齢高いな〜って思ってた 

 

一条天皇即位時、高御座に生首事件(11話)

11話の一条天皇の即位式の日、天皇の玉座・高御座たかみくらに生首が置かれるという事件が起き、道長が他言しないように対処していました(><)

何ともバイオレンスな出来事だったので、史実通りなのか気になり、調べてみました!

 

一条天皇の即位式の日に高御座に生首が置かれたのは史実どおりですが、対処したのは道長ではなく兼家(パパの方)だったようです!

ねこ先輩
ねこ先輩
出来事は史実どおりだけど、対処した人が違うね

 

『光る君へ』で描かれていた通り、一条天皇の即位式の日に高御座に生首が置かれ、「穢れてしまった〜(><)」と騒ぎに。

生首事件を報告された兼家(段田安則)は、寝ぼけたふりをして話を聞かず、謂わば「生首事件などなかったこと」にしたのです!

そうして即位式は何事もなかったかのように、無事執り行われたんだとか・・・

 

史実では、事件の犯人・生首にされた被害者については特に言及されていないようです。

ねこ先輩
ねこ先輩
明らかになってないってことかな?

 

『光る君へ』では花山院(本郷奏多)が念仏?呪い?を唱えていたところに生首カットが入ったので、

  • 花山院の呪い
  • 花山院側の人間がやった
  • 兼家の政敵
  • 安倍晴明の呪い(花山院の切れた数珠が散らばった形&兼家・道長が見つめていたのが北斗七星)

といった設定にした可能性が考えられますね。

ねこ先輩
ねこ先輩
安倍晴明が仕組んでたとしたら、設定としてめっちゃ面白いけど

 

史実では兼家が「なかったこと」にしていましたが、『光る君へ』では道長が口止めして「なかったこと」にしていました。

誰かに報告されるより、自分で生首を見た方が衝撃的

道長は直秀のことで既に「穢れ」に慣れているため、生首を見ても取り乱さなかった

ということで、対処したのを兼家→道長に変えたのかもしれませんね。

 

兼家が左大臣に送った文(12話)

12話で兼家が左大臣・源雅信まさのぶに、道長と倫子ともこの縁談をお願いした後、道長に文を持たせて左大臣に届けさせていました。

左大臣は文を見て「舐めてる!!」と怒っていましたが、なんと書いてあったのでしょうか?

 

兼家が左大臣に送った文には、

「此者道長也 摂政」

と書かれていました。

意味は「この者が道長である 摂政より」です。

めちゃくちゃ短いですよね(笑)

 

超訳すると「こいつが、この前話した道長だよ!よろしくね♪ 摂政(兼家)より」という感じでしょうか(笑)

 

「こいつが道長です。どうか倫子さまの婿によろしくお願いします」とか書かれているのであればいいと思うのですが・・・(^_^;)

兼家の「拒むなんてことありませんよね?拒んだら分かってますよね?」という無言の圧力がこの短文に込められていて、めっちゃ怖いです(笑)

 

既に兼家は「自分が左大臣より上だ」と思っており、それを文にも表していたため、左大臣は「舐めている!!」と怒っていたのでしょう(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
怒って当たり前だ(笑)

 

道長がまひろに送った恋文の意味(12話)

12話のラスト、道長がまひろに文を贈り、いつもの場所で待ち合わせするというシーンがありました。

文はほとんど現代とは違う平仮名で書かれていましたし、読み上げるナレーションもなかったので、どんな意味だったのか調べてみました!

 

筆者は「一目なりとも」だけ読み取れたので、「一目だけでも会いたい」的な意味かな〜と思ったのですが、Xでは以下のように解読されている方がいらっしゃいました!

 

「まみえる」は「会う」という意味ですので、「今夜、一目だけでも会いたい 道長」という意味になると思います。

 

以前は『古今和歌集』を引用した文を送っていましたが、最近ド直球が多くなりましたね〜

10話での和歌と漢詩の長いやり取りの結果、道長が送った「我亦欲相見君」(あなたに会いたい)という短い文で会うことができていました。

そのため道長は、「直球勝負のほうが、まひろには響くらしい」と学んだのかもしれません(笑)

ねこ先輩
ねこ先輩
会いに行った結果は残酷だったけど・・・

 

尾張の国司変更(13話)

13話で、公卿たちが民からの上訴について会議中。

道隆(井浦新)が「この前も尾張の国司を変更したばかり。民の言うことをばかり聞いていたらつけあがる」的なことを言っていましたよね。

 

史実か気になって調べたところ、実際に民の上訴により、尾張の国司が変更になった事件があったのです!

【尾張とは?】

現在の愛知県西部。

 

【国司とは?】

地方の国を治める役人のこと。

 

尾張の国守(国司の中で1番上の階級)であった藤原元命もとながは、地方官(=元命にとっては部下)や有力農民から、

いろいろな理由で税を追加徴収する

百姓から安い値段で絹を買い、余った分は他国で高い金で売る

給料や費用、食料を横領しているが、文書には適正だと書く

元命の子の乱暴な振る舞い

元命の出勤怠慢

都の命令でも自分に都合の悪い文書は民に知らせない

といった件を上訴され、989年の除目じもく(官職を任命する儀式)で解任となりました。

ねこ先輩
ねこ先輩
『光る君へ』13話時点で990年だから、1年前だね

 

なお尾張の民たちが書いた訴状は、尾張国解文おわりのくにのげぶみと呼ばれており、当時の地方政治などの実態を伝える文書として評価されているそうです。

 

あんな一言のセリフでも、ちゃんと史実通りのことを言っていたんですね〜

税の追加徴収はともかく、安く買って高く売る、横領、出勤怠慢などは、現代にも通じる部分があると思います(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
人のやることって案外変わらないのね(^_^;)

 

なお元命は国司を解任された後も、役人は続けていたようです(^_^;)

13話で道長が「民の声も大事」と言っていましたが、今後どのような政治をしていくのかも気になりますね(><)

ねこ先輩
ねこ先輩
尾張では1008年、1016年にも民が上訴を行ったよ

 

詮子が内裏から追い出される(15話)

15話の冒頭、990年に詮子あきこ内裏だいり(天皇が住む場所)から追い出され、職御曹司しきのみぞうし(皇后・皇太后・太皇太后に関する事務所がある場所)という建物に住まわされていました。

 

「詮子が息子の嫁である定子(高畑充希)にチクチク言っていたから追い出したのかしら?」と思って調べたところ・・・

追い出されたのかは分かりませんが、詮子が職御曹司に住んだことがあるのは本当のようです!

 

詮子が住まわされた職御曹司は、母屋に鬼がいたという不気味な建物だそうです(><)

詮子は兼家が亡くなった年である990年10月〜職御曹司に住み、991年に職御曹司で出家し、日本最初の女院にょいんとなりました。

【女院とは?】

太上天皇だいじょうてんのう(譲位して天皇を後継者に譲った天皇のこと。上皇や法皇、院とも呼ばれる)に準ずる待遇を受けた女性のこと。

ねこ先輩
ねこ先輩
『光る君へ』だと、譲位した円融天皇や花山天皇に準ずる待遇を受けてるってことだね!

 

元々、皇后や皇太后、太皇太后は出家したら后妃の待遇は停止すると決まっていた。

しかし、当時皇太后だった詮子が出家すると、一条天皇の命令で「女院」となった。

 

女院になった詮子は実家である東三条殿ひがしさんじょうどのにちなみ、「東三条院」と呼ばれるようになりましたが、出家後は実家ではなく道長&倫子ともこの邸宅・土御門殿つちみかどどのに住んでいたんだとか(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩

詮子は実家嫌いだもんな〜(笑)

弟夫婦の家に住むってありなんだね〜

 

詮子は職御曹司に住んだことがあるものの、その期間は少しだったということですね。

 

母屋に鬼がいるという職御曹司は、定子も一時期住んでいたことがあるのですが、そのエピソードについては、こちらの記事で詳しく解説しています!

アイキャッチ画像
光る君へ藤原定子(高畑充希)悲運な生涯とは?出家の理由や死因もわかりやすく紹介!今回は、光る君へ藤原定子(高畑充希)悲運な生涯とは?出家の理由や死因もわかりやすく紹介!と題してお届けします。 毎週日曜日20:0...
ねこ先輩
ねこ先輩
悲しいけど一条天皇の愛がスゴいってエピソード(><)

 

道隆が66人の位を上げたのは本当?(15話)

15話の993年の除目じもく(官職を任命する儀式)で、道隆(井浦新)が自分と親しい人66人の官位を上げたというナレーションが入りました。

 

本当に66人も官位を上げたかは調べきれませんでしたが、道隆が自分と親しい人の官位を上げたのは本当でした!

 

道隆が摂政となった990年〜『光る君へ』15話の993年までに、道隆と親しい人のうち官位を上げた、公卿くぎょう(貴族の中でも、国政を担う最高の職位)以上の人を調べてみました!

官位や官職のランクを画像で確認♪
官位

※蔵人頭は、参議のすぐ下

ねこ先輩
ねこ先輩
権大納言や権中納言は「仮」って意味だから、普通の権大納言よりはちょい下だけど、基本的には同じような感じ!

名前道隆との関係どれくらい昇進? 
道兼
(玉置玲央)
権大納言→内大臣
藤原済時なりとき酒を通じて道隆と親しくなった権大納言→大納言
道長
(柄本佑)
権中納言→権大納言
伊周これちか
(三浦翔平)
息子権中納言→権大納言
藤原公季きんすえ
(米村拓彰)
兼家の異母弟権中納言→中納言
藤原道頼みちより息子(母は妾)参議→権中納言
道綱
(上地雄輔)
異母弟右近衛中将→参議
平惟仲たいらのこれなか
(佐古井隆之)
兼家に対し、後継者は道隆と推薦蔵人頭→参議

 

身内はもちろん、仲のいい人や自分の恩人的な人の官位も上げていますね〜

兼家も摂政になった際、道隆や道兼の官位を上げていましたので、同じことをしているだけではあるのですが、道隆の方が批判されている印象です(><)

 

後涼殿・弘徽殿の火事(16話)

16話で、定子(高畑充希)&一条天皇(塩野瑛久)がいた弘徽殿こきでんで火事が起こり、2人が避難するシーンがありました。

その後、「この前、後涼殿こうりょうでんでも火事があったが、放火か?誰だ?」みたいなことを道隆(井浦新)たちが話していましたよね。

 

調べたところ、994年に後涼殿、弘徽殿で火事(放火)があったのは本当のようです!

 

正確には994年2月に、

  • 後涼殿
  • 弘徽殿
  • 飛香舎ひぎょうしゃ

で放火があったということです。

【飛香舎とは?】

天皇の后の住まい・後宮の一つで、別名「藤壺ふじつぼ」。

元々格が低かったが、平安中期以降は中宮や有力な女御にょうごが住んでいた。

道長の娘で、後に一条天皇の妻となる彰子あきこ(見上愛)が住む場所でもある。

ねこ先輩
ねこ先輩
天皇の后の位は、「皇后=中宮>女御>更衣」だよ

 

これらは放火だったようですが、放火の犯人については情報がありませんでした。

 

なお平安時代は何度も火事が起きており、

  • 999年
  • 1001年
  • 1005年

にも内裏だいり(天皇が住んでいる場所)で火事が起き、一条天皇は兼家の邸宅であった東三条殿ひがしさんじょうどのに身を寄せていた時期もあるそうです。

『光る君へ』では今後も一条天皇は火事に見舞われるということで、気の毒ですね。。。

 

何の疫病?(16話)

16話で都で疫病が流行り、まひろまで感染してしまう事態に・・・

道隆(井浦新)は「疫病は下々の者がなる病」と言い、対策をしていませんでしたが、

  • 一口に「疫病」と言っても、具体的にどんな病気なのか?
  • 道隆が対策しなかったのは本当か?
  • 罹患したのは誰か?

を調べてみました!

 

【具体的にどんな疫病?】

疱瘡ほうそう天然痘てんねんとう

【疱瘡とは?】

感染症の一つ。

飛沫や接触で感染し、

  • 40度前後の高熱、頭痛・腰痛
  • 全身に発疹が広がる

という症状がある。

 

感染力が強い上、致死率が平均で約20%〜50%と非常に高い。

仮に治っても、皮膚に「あばた(ぶつぶつとした小さなくぼみ)」が残ってしまう。

1980年に根絶が宣言され、人類史上初にして唯一、根絶に成功した感染症である。

 

【道隆が対策しなかったのは本当?】

情報なし

しかし当時は感染症の対策についての知識もないため、祈祷くらいしかやることがなかった。

 

【994年前後に罹患した人まとめ】 

名前罹患後は?
一条天皇
(塩野瑛久)
993年に罹患したが治癒
道隆
(井浦新)
995年・死亡。
(死因は糖尿病だが、疫病に感染して死期が早まったと言われている)
道兼
(玉置玲央)
995年・死亡
源重信
(倫子の父・雅信の弟)
995年・死亡
済時なりとき
(道隆と親しかった大納言)
995年・死亡
道頼みちより
(道隆と妾の子)
995年・死亡
保光やすみつ
(中納言であり、F4の1人・行成の養父)
995年・死亡
朝光
(17話で道綱が話していた人)
995年・死亡

など、殿上人てんじょうびとである五位(上から14番目に偉い)以上の貴族・67人が死亡

 

道隆は「疫病は下々の者がかかる」なんて言っていましたが、一条天皇だって『光る君へ』16話の前年・993年に罹患していたんです(><)

 

994年に流行ったのは天然痘ですが、特に発疹が出ている人はいなかったように見受けられます。

天然痘にかかると、治ってもぶつぶつが残ってしまうということなので、「まひろの顔にぶつぶつを残すわけにはいかない」と発疹の描写を省いたのかもしれませんね。

 

なお疫病は994年・995年だけではなく、

998年に赤斑瘡あかもがさ(現代の麻疹ましん、はしか)が流行し、一条天皇や行成が罹患(2人とも治癒)

1000年・1001年に疫病流行

と、まひろ(紫式部)が宣孝のぶたかと結婚する998年や、宣孝が死亡する1001年にも流行しています。

なお、宣孝の死因も疫病です。

 

火事同様、疫病は今後も『光る君へ』で登場人物たちを苦しめることになりそうですね。。。

 

内覧について、20年前の先例(17話)

17話で、道隆(井浦新)が倒れた際、定子(高畑充希)は昔の例を調べ、兄・伊周これちか(三浦翔平)に、

「兄上が内覧になれるよう、帝にお願いしましょう。20年ぶりでもやってしまえばよいのです」

と言っていました。

ねこ先輩
ねこ先輩
内覧は、関白と同じ様な権限だよ♪

 

定子が言っていた「20年前の先例」とは、藤原兼通かねみちのことです!

ねこ先輩
ねこ先輩
兼通は、兼家(段田安則)のお兄ちゃん(次男)!

 

兼通の内覧の例

972年 円融えんゆう天皇(坂東巳之助)の摂政をしていた藤原伊尹これただが病に倒れる

ねこ先輩
ねこ先輩
伊尹も、兼家(段田安則)のお兄ちゃん(長男)!

兼通(次男)&三男・兼家「長男・伊尹の後任は俺だ!!」

円融天皇頼忠よりただ(公任パパ、後の関白)を内覧にしたいな〜」


円融天皇の母(兼通の妹でもある)の遺言「摂政や関白は、必ず兄弟の順番に従ってね♪」


円融天皇「母上の遺言だからな〜」

兼通が関白になることが決まるが、兼通はまだ権中納言(><)

官位や官職のランク
官位


一旦、内覧になる

兄・伊尹の死後、内大臣になり、その後、関白に就任

 

兼通は、伊周にとっては大伯父にあたります。

ねこ先輩
ねこ先輩

伊周の父は道隆、道隆の父は兼家(=伊周にとってはおじいちゃん)

兼通は兼家の兄だから、伊周にとっては「おじいちゃんの兄=大伯父」だね

 

『光る君へ』17話時点で995年でしたので、定子は23年前の先例を持ち出してきたということですね。

ねこ先輩
ねこ先輩
定子スゴイな〜

 

兼通も、

現在の関白が病に

兼通が内覧になる

現在の関白が死去

兼通が関白になる

という流れでしたので、関白・道隆が病になった今、内覧になっておけば、道隆の死後に関白の座につけると思ったのでしょう。

しかし道隆の死後は道兼(玉置玲央)が関白となり、その後は詮子あきこの猛プッシュで道長が内覧になっちゃうんですよね〜(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
伊周が関白になれず、道兼が関白、道長が内覧になったことについては、前章で詳しく解説してるよ♪

 

租税の免除(19話)

19話で一条天皇(塩野瑛久)が、

  • 伯耆ほうきの国(現在の鳥取県中部・西部)
  • 石見いわみの国(現在の島根県西部)

の租税を1/4免除する命を出し、道長が賛成していましたが、史実だったのでしょうか?

 

調べたところ、疫病で租税を免除したのは本当ですが、免除した地方&割合については明らかになっていませんでした!

 

一条天皇は995年に疫病で苦しむ民のため、租税を免除しています。

また実際、諸国(どこの国かは不明)から租税を1/4免除してほしいという要求があったそうですが、これに応えたかどうかは分かっていません

 

『光る君へ』では、1/4免除に応じたことになっていましたね!

一条天皇は995年より前、993年にも、疫病の大流行により租税を免除しています。

一条天皇は『光る君へ』の役柄通り、民のことを思っていた天皇だったのかもしれませんね(*^^*)

 

行成が道長にチクった内容(19話)

19話で道長が行成(渡辺大知)に貴族たちの裏の顔を探るよう命じ、行成は女性から聞き出した情報を道長にチクっていました。

「藤原朝経は酒乱なのか〜」と言っていましたが、それ以上の情報や、朝経をどうするかなどは言っていなかったため、

  • 行成が道長にチクった内容
  • その内容は史実通りか?

を調べてみました!

 

名前内容史実通り?
藤原朝経酒乱。

去年の春に父親が亡くなってからは特にヒドい。

酒乱だったかは不明。

しかし995年から3年ほど官位が上がらず干されている。

源頼定
(実資の妻の弟)
斎宮と男女の仲という疑いあり。

※斎宮とは、伊勢神宮に奉仕する未婚の皇族の娘。

聖なる存在であり、恋愛はご法度

斎宮とデキていたかは不明。

しかし女性関係がヤバかったらしく、

  • 三条天皇(一条天皇の次)の皇太子時代の妃を妊娠させる
  • 一条天皇の元妻に手を出し、相手の父親に激怒される

といった問題を起こしたため、三条天皇時代は昇進が止まっている。

※『光る君へ』19話時点で一条天皇の妻は定子だけ。

源頼定が手を出したのは定子ではないし、時期は一条天皇の死後

藤原通任みちとうサボり癖あり。当時怠慢だったかは不明。

しかし、1014年に三条天皇の第一皇女を伊勢に送り届けた時のこと。

その態度が非常に怠慢であったと批判されている。

藤原公信きみのぶ
斉信ただのぶの異母弟)
度々ケンカしてる。ケンカしていたかは不明であり、普通に順調に昇進していた。
ねこ先輩
ねこ先輩
19話時点で995〜996年だよ!

 

チクった内容が史実通りかは不明でしたが、名前が出ていたうちのほとんどが昇進させてもらえずに干されていましたね(^_^;)

特に源頼定、藤原通任みちとうは、チクられた内容通りのことをやっていてもおかしくないようなエピソードもあります(^_^;)

 

藤原公信きみのぶについてはケンカしていたという情報もなく、順調に昇進していたようです。

公信はF4の1人・斉信(はんにゃ金田)の異母弟&養子であるため、『光る君へ』では道長も目をつぶったという設定にしているのかもしれませんね〜

 

倫子が読んでいた道長の日記(19話)

19話で道長は行成(渡辺大知)からの勧めで日記を書き始めたのですが、その日記を妻・倫子ともこ(黒木華)が盗み見し、「ふ〜ん」と微笑んでいました(><)

倫子は以前、まひろが道長に送った文を盗み見し、関係を疑っていたことがありましたが、道長の日記には何が書いてあったのでしょうか?

 

調べたところ、995年8月16日の『御堂御記抄みどうぎょきしょう』には、

「御馬を引き別け、□□直廬に将ゐ来たる。使の近衛に疋絹を給ひ了んぬ」

と書かれていたようです。

【御堂御記抄とは?】

道長の日記『御堂関白記』を後世に抜き出したもの。

 

意味は、

「美しく立派な馬を、休憩部屋に持ってきた。使いの近衛兵に絹を与えた」

になりますね。

 

『光る君へ』公式サイトの方でも同じような内容ですが、「御牧みまき」という言葉が追加されています。

それを含めて超訳すると、

「朝廷の牧場の綺麗な馬もらっちゃった〜♪

だから使いの者に絹あげたよ(*^^*)」

という感じでしょうか。

 

超どうでもいいというか、まさに「日記」って感じですね(笑)

倫子は不倫の証拠を見つけて微笑んでいたわけではなく、ただ単に「あら〜日記書き始めたのね〜」くらいの感じで微笑んでいたのかもしれません♪

ねこ先輩
ねこ先輩
平和で良かった(^_^;) 

 

人物解説

『光る君へ』で筆者が「この人本当にそういう人だったの?詳しく知りたい!」と思った人物をまとめました!

 

為時の他の妻

『光る君へ』1話で、「平安時代、男性が妻を複数人持つことは珍しくなく、為時もたびたび家を空けていました」というナレーションが入っていましたよね。

紫式部の父・藤原為時(岸谷五朗)には素敵な奥さんがいて、しかも貧乏なのに、「他の女性の面倒見る余裕なんてあるのか?」と気になったので調べてみました!

 

藤原為時の他の妻(妾)の詳しい情報については分かっていないようですが、妾がいたのは確かのようです。

 

藤原為信ためのぶの娘(『光る君へ』内での名前は「ちやは」)との子どもは、

  • 長女(名前不明。『光る君へ』内にも登場せず)
  • 次女・紫式部(吉高由里子)
  • 長男・藤原惟規のぶのり(高杉真宙)

の3人です。

 

為時には他に「生母不明の子ども」が3人おり、全員が兄弟とも限らないようです。

そのため為時には少なくとも1人、多いと3人以上の妾がいたのではないかと考えられます。

ねこ先輩
ねこ先輩
妾全員が子どもを産んだとも限らないから、3人以上いる可能性もあるよね

 

藤原為時と妾との間に生まれた、3人の子どもについてご紹介しています。

【1人目・藤原惟通のぶみち

  • 生誕不明
  • 没年月日:1020年7月25日
ねこ先輩
ねこ先輩
ちなみに紫式部が亡くなったのは1000年ごろって言われてるよ

 

貴族として、

  • 蔵人所雑色
  • 右兵衛尉

を歴任。

蔵人くろうど所とは?】

事務を行う場所。

天皇の秘書的な役割をした。

 

雑色ぞうしきとは?】

蔵人の見習い。

雑務をこなす。

 

【右兵衛尉とは?】

天皇やその家族の護衛をする部署「兵衛府ひょうえふ」の役割の一つ。

 

常陸国ひたちのくに(現在の茨城県)に在職中、40代前半くらいで死去。

惟通の死後も、惟通の母(為時の妾)と惟通の妻子は常陸国にとどまった。

 

惟通の没後、惟通の妻が襲われる事件が起こる。

惟通の母(為時の妾)の訴えにより犯人は逮捕されたが、翌年には釈放された。

 

息子の惟通の死後も生きていたということは、為時の妾は結構長生きで、嫁思いだったことが分かりますね。

惟通は一条天皇にも仕えていたため、紫式部とは宮廷で会っていたかもしれませんね。

 

【2人目・定暹じょうせん

  • 生誕:980年頃?
  • 没年月日:没年不詳
ねこ先輩
ねこ先輩
ちなみに紫式部が生まれたのは970年ごろって言われてるよ

 

三井寺(滋賀県大津市の寺院)の僧侶

為時も後にこの寺で出家したと言われている。

一条天皇の葬儀にも僧侶として参列した。

 

紫式部は出家したがっていたので、定暹がいるお寺で出家することを想像していたのかもしれませんね。

 

【3人目・藤原信経さねつね室】

生没年不明。

 

1010年頃、貴族・藤原信経さねつねと結婚

 

信経は1009年頃に越後守えちごのかみに任命されていて、1011年に辞任し、その後、為時が越後守となる。

ねこ先輩
ねこ先輩
越後は今の新潟県、守は国司(地方の国を治める役人)の中で1番上の階級だよ!

 

1014年に為時が越後守を辞任すると、信経が越後守に再任された。

ねこ先輩
ねこ先輩
為時が越後守を辞任したのは、紫式部が亡くなったからという説もあるよ

 

藤原信経室は夫について越後に行っていたと思うので、宮中にいた紫式部とはあまり関わりがなかったかもしれませんね。

なお清少納言(ファーストサマーウイカ)は、藤原信経が作成した絵図面(家や土地の平面図)を『枕草子』の中で酷評しています(^_^;)

紫式部の夫・宣孝のぶたか(佐々木蔵之介)も清少納言に酷評されていましたので、異母姉妹揃って夫を清少納言に酷評されていますね(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
清少納言が宣孝を批評したエピソードはこちら! 
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紫式部と清少納言のエピソードを紹介!ライバル関係は嘘?【光る君へ】今回は、紫式部と清少納言のエピソードを紹介!ライバル関係は嘘?【光る君へ】と題してお届けします。 2024年に放送予定の吉高由里子...

 

道兼は本当に気性が荒かった?

1話で1番と言っていいくらいのインパクトを残した藤原道兼みちかね(玉置玲央)。

弟にも従者にも暴力的で、ラストではまひろの母親・ちはや(国仲涼子)を殺害していました。。。

 

紫式部の母親が亡くなったのは紫式部が4歳ごろであり、弟・惟規のぶのり(高杉真宙)を出産してすぐに亡くなったとされています。

そのため、ちはやが道兼に殺害されたのはフィクションでしょう。

ねこ先輩
ねこ先輩
「事実は小説よりも奇なり」っていうから、実際はもっととんでもないことが起こってたのかも知れないけど

 

ちはや殺害がフィクションだとしても、

  • 道兼は本当に気性が荒かったのか?
  • 平安時代にも殺人事件はあったのか?

が気になったので調べてみました。

 

道兼は気性が荒いというか、冷酷で兄・道隆(井浦新)を妬んでいたのは事実のようです。

 

性格は非常に冷酷で、人々から恐れられていたという。

また、面倒で意地が悪く、長幼の順序もわきまえずに、兄の道隆をいつも諭しているようなところがあった。

一方で老成して男らしい人物という評価もある

引用:https://www.weblio.jp/content/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E5%85%BC?wpm_category=hotword&wpm_action=top&wpm_label=keyword

平安時代の歴史物語『大鏡』『栄華物語』には道兼の性格について、上記のように書かれているそうです。

「気性が荒い」「乱暴者」という記述はないようですが、気性が荒かったから恐れられていたという可能性もあります。

 

『光る君へ』でも道隆のことを敵視?というか、「父上、私も!私を!」的な感じではありましたが、道隆を妬んでいたのも事実のようです。

父・兼家(段田安則)は後に関白となりますが、990年に亡くなり、後任の関白には道隆が選ばれました。

【関白とは?】

成人した天皇を補佐する役割。

天皇が物事を決める前に、内容を吟味する権利があった。

 

『大鏡』によると道兼は、「自分は父上のために働いたのだから、当然自分が関白を継ぐべき」と思っていたそうです。

そして関白になれなかったことを憎み、父親の喪中にも関わらず、お客さんを集めて遊興にふけったそうです(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
遊興は宴会したりお酒飲んだり賭け事やったりってことだね

 

『光る君へ』1話でも、兼家は「長男・道隆を清いものにしておくため、道兼には手を汚してもらわねば」的なことを言っていましたよね。

実際、道兼は花山天皇(本郷奏多)を退位させる時、花山天皇の出家をそそのかす実行犯となりました。

ねこ先輩
ねこ先輩
道兼がそそのかして花山天皇が出家したことについては、前章で詳しく解説してるよ!

 

道兼にしてみれば、

「自分のおかげで花山天皇が退位し、詮子あきこの子ども・一条天皇が即位できて、外祖父の父上が関白になれたのに、何で次の関白が私じゃないのだ!」

という感じだったのでしょう。

ねこ先輩
ねこ先輩
ちなみに道兼が花山天皇の出家をそそのかしてる時、道隆は皇位の象徴である神器を、一条天皇の住んでる場所に運び込んでたよ

 

時代的にも長男が継ぐものだと思うのですが、道兼は「私が私が」タイプだったんですね。

 

そんな道兼にも順番が回ってきて、道隆の死後、関白に就任します。

しかし道兼は関白に就任して数日で、疫病で急死してしまうのです(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
「七日関白」って言われてるよ

 

必死に父親のために尽くし、兄以上の権力を欲したのに、あっけない最後だったんですね(^_^;)

 

道兼は冷酷で権力欲が強い人物だったことが分かりますが、道兼の次男・兼隆かねたかも乱暴者で、

厩舎人(馬の世話をする従者)を殴殺させた

藤原実資さねすけ(秋山竜次)の下女の家を略奪・破壊させるよう従者に命じた

という事件があったそうです(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
遺伝子こわ〜

 

平安時代は戦もなく雅なイメージがありますが、実際はこのように殺人事件もあったそうです。

『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』という本には、平安時代に起きた事件が詳しく載っているため、気になった方は読んでみてください♪

 

花山天皇は変人?

小さい頃から周りが手がつけられないほどで、成長してからは母娘に手を出したりと、さらに変人になっている花山天皇(本郷奏多)。

大分クセの強い人ですが、本当にそんな人だったのかな?と気になったので調べてみました!

 

花山天皇が変人だったのは本当であり、

天皇に即位する前、天皇の玉座・高御座たかみくらに美しい女官を連れ込み、手を出した

即位式で「王冠が重い」と王冠を脱ぎ捨てた

天皇が生活する清涼殿せいりょうでんの狭い庭で、馬を乗り回そうとした

藤原忯子よしこLOVEで、忯子の親族に説得させて入内(結婚)した

それほど愛した忯子が妊娠中に亡くなり、花山天皇は出家

ねこ先輩
ねこ先輩
前述の通り、花山天皇は道兼に騙されて出家したよ(^_^;)

出家するほど忯子LOVEだったのに、出家後、忯子の異母妹に手を出す

ねこ先輩
ねこ先輩
花山天皇が出家後に女性に手を出してトラブルに見舞われた事件については、この記事で詳しく解説してるよ!

同時期に母娘を妾にし、同時期に男子を妊娠させた

出家後、自宅前に通った人を襲撃するよう指示していたと言われている

などなど、数々のヤバい変人エピソードがあります(^_^;)

 

『光る君へ』2話時点では、まだ可愛いものだったんですね(笑)

ねこ先輩
ねこ先輩

特に女性エピソードやばすぎ(笑)

現代だったら炎上もんだわ(笑)

『光る君へ』でどこまで描かれるのか楽しみです(^_^;)

 

倫子の結婚が遅れた理由

左大臣の娘・源倫子ともこ(黒木華)は、22歳という年齢なのにまだ結婚していませんでしたね。

ねこ先輩
ねこ先輩
平安時代の女性の初婚年齢は、13歳くらいだよ

 

藤原斉信ただのぶ(はんにゃ金田)がアタックしていると言っていましたが、最終的には、

  • 倫子→道長(柄本佑)
  • 斉信→妻はいるが、不詳

と結婚しています。

 

兼家(段田安則)も「なぜ天皇に嫁がせないのか?」と怪しんでいましたが、倫子の結婚が遅れた理由は何だったのでしょうか?

 

左大臣・源雅信まさのぶ(益岡徹)は、自慢の娘・倫子を天皇の后にしようと考えていました。

しかし倫子は、円融天皇(坂東巳之助)、花山天皇(本郷奏多)、一条天皇(塩野瑛久)、三条天皇(木村達成)には入内(結婚)せず、道長の妻になっています。

天皇の后にしようと考えていたが、入内させなかった理由は、

円融天皇→当時「中継ぎ」とみなされていた

花山天皇→すぐに退位させられた

一条天皇→年齢が離れすぎていた

三条天皇→年齢が離れすぎていた

からではないかと考えられています。

 

円融天皇は、先代の天皇・冷泉れいぜい天皇の弟であり、

冷泉天皇は病気がちだっため、

父・村上天皇「体が弱く、すぐに退位することになるかもしれないから、皇太弟(次の天皇となる弟)を立てなさい」

と言われていた

ねこ先輩
ねこ先輩
実際、冷泉天皇の在位は3年という短い期間だったよ


これは、円融天皇を冷泉天皇の息子・師貞もろさだ親王(後の花山天皇)が成長するまでの「一代主」にしようという考えだった。

【一代主とは?】

自分の息子に皇位を継がせられなかった天皇のこと。

 

つまり村上天皇、冷泉天皇は、

村上天皇

冷泉天皇(村上天皇の息子)

円融天皇(村上天皇の息子)←中継ぎ

花山天皇(冷泉天皇の息子)

花山天皇の息子

と継がせる気だった。

ねこ先輩
ねこ先輩
実際は、花山天皇の息子は天皇にはなれず、一条天皇(円融天皇の息子)が継いだよ

という事情で、「中継ぎ」の天皇とみなされていました。

 

そのため多くの貴族は、円融天皇に娘を入内させることをためらっていたということです。

ねこ先輩
ねこ先輩
「どうせ娘を嫁がせて皇子が生まれたとしても、円融天皇の息子は次期天皇にはなれないし」ってことだね

 

倫子の父・源雅信も円融天皇を「中継ぎ」とみなしていたため、「花山天皇に嫁がせて皇子を産ませ、その子を次期天皇にしよう」と考えていたのではないでしょうか?

ねこ先輩
ねこ先輩
源雅信は倫子が行き遅れてても、全然気にしてなかったもんね

 

そして花山天皇が即位したわけですが・・・

花山天皇は前述の通り、兼家の策略によって2年で退位させられてしまいます(^_^;)

 

続いて円融天皇と詮子あきこ(吉田羊)の息子・一条天皇(塩野瑛久)。

一条天皇は倫子より16歳も年下

即位した時点で6歳と22歳であるため、これは平安時代の常識でも「年が離れすぎている」と判断されたのでしょう(^_^;)

 

続く三条天皇(花山天皇の異母弟)も、倫子より12歳年下です。

 

このように天皇の后にする意思はあったもののタイミングが合いませんでした。

 

そんな時、道長が倫子に求婚

ねこ先輩
ねこ先輩
道長の異母兄・道綱(上地雄輔)が雅信の娘と結婚してたから、道綱の影響を受けて求婚したという説もあるよ!

 

倫子の父・源雅信は、

  • 道長は三男で出世は望み薄
  • 倫子より2歳年下(道長22歳、倫子24歳で結婚)

であるため道長と結婚させる気はなかったようです。

 

しかし倫子の母・穆子むつこ(石野真子)は、

「14歳も離れている一条天皇に嫁がせるより、実力者の息子である道長の方がまだ出世の可能性があるわ!」

と主張し、強引に倫子と道長を結婚させます(^_^;)!!

ねこ先輩
ねこ先輩
雅信も兼家も唖然としたんだって(笑)

そのシーン見たすぎる(笑)

 

結果的に道長は時の最高権力者となり、道長と倫子の子どもは、

彰子あきこ(見上愛)→一条天皇に嫁いで王子を産み、2人の天皇の母になる(=倫子は天皇の外祖母)

頼通よりみち(渡邊圭祐)→摂政・関白

妍子けんし→三条天皇(木村達成)の皇后

教通のりみち→関白

威子いし→後一条天皇の皇后

嬉子きし→後朱雀天皇の東宮時代の妃で皇子を産み、天皇の母になる

と全員大出世!!

 

穆子はめちゃくちゃナイス判断をしたということですね!!

ねこ先輩
ねこ先輩
行き遅れていて正解だったかもね

 

前述の通り、道長&倫子の結婚を後押ししたのは倫子の母・穆子であるため、『光る君へ』のように詮子あきこ(吉田羊)の差し金ではありません

 

しかし詮子は道長をかわいがっていたため、

道隆(井浦新)の息子・伊周これちか(三浦翔平)を圧迫し、兄一家を没落に追い込む

ねこ先輩
ねこ先輩

道隆一家を没落に追い込んだことについては、この記事で詳しく解説してるよ!

身に覚えのない罪もあったけど、左遷されちゃったんだよね

道長の娘・彰子あきこ(見上愛)を一条天皇(塩野瑛久)に入内(結婚)させるため、母親である倫子の位を昇格させる

といったことを行っています。

 

『光る君へ』では上記の出来事を、「父に復讐するために、源家と手を組んでやったこと」という設定にするのかもしれませんね。

 

実資が花山天皇時代、蔵人頭を辞退したのは本当?

4話で花山かざん天皇(本郷奏多)が、藤原実資さねすけ(ロバート秋山)に「引き続き蔵人頭くろうどのとうをやってほしい」と言っていましたが、実資は「辞退します」と言っていましたよね。

ねこ先輩
ねこ先輩
花山天皇がスネてて面白かった(笑)

【蔵人頭とは?】

事務を行う場所の長で、天皇の秘書的な役割をした。

大雑把に分けると4番目に偉い。

 

実資は花山天皇時代、本当に蔵人頭を辞退したのでしょうか?

実は実資は、花山天皇時代も蔵人頭を務めています(^_^;)

 

実資の官職
実資の官職どのくらい偉いのか?
981年
(円融天皇時代)
蔵人頭になる4番目に偉い
983年
(〃)
左中将(天皇やその家族の護衛をする部署の次官)に転任
984年
(花山天皇即位)
再び蔵人頭になる
986年
(花山天皇退位&一条天皇即位)
蔵人頭ではなくなる
986年
(一条天皇時代)
再び蔵人頭になる
1001年
(〃)
  • 権大納言(現代の国務大臣に相当)
  • 右近衛大将(天皇やその家族の護衛をする部署の長官)

になる

3番目に偉い
1021年
(一条天皇の息子・後一条天皇時代)
右大臣(司法・行政・立法を司る最高行政機関・太政官の職の一つ)になる2番目に偉い
ねこ先輩
ねこ先輩
位は大雑把に分けた時の順位だよ!

 

このように、『光る君へ』内では花山天皇の申し出を断っていた実資ですが、ガッツリ蔵人頭になっているんですよね〜

ねこ先輩
ねこ先輩
逆に一条天皇が即位した時に一度辞めてる

 

花山天皇の在位期間は2年ほどなので、実資が蔵人頭を辞退したという設定にしても物語上大きな問題はなさそうです。

このまま辞退したことにするのか、史実通り花山天皇時代も蔵人頭を務めるのか気になります!

 

清少納言と斉信の関係

6話の漢詩の会にて、清少納言(ファーストサマーウイカ)と藤原斉信ただのぶは出会いました。

「斉信さまの選んだ歌が好き♡」「鼻をへし折ってやりたくなる」と、お互いに意識しているようでしたが、今後どのような関係になっていくのでしょうか?

 

簡単にまとめると、清少納言は斉信を「イケメン」と称しており、親しく文(手紙)のやり取りをしていた関係です!

 

清少納言は981年頃に、斉信家の家司けいし橘則光たちばなののりみつと結婚しています。

【家司とは?】

その一家の

  • 事業(土地の支配や商人の事業など)
  • 家事全体

を担当する職員のこと。

 

つまり、清少納言は『光る君へ』6話時点で既に人妻だったということですね!

ねこ先輩
ねこ先輩
斉信は、旦那が働いている家のお坊ちゃまってことだね

 

その後離婚してバツイチになりますが、斉信とは再婚していません

ねこ先輩
ねこ先輩
斉信も結婚したみたいだけど、奥さんが誰かは分かってないよ

 

結婚していないにしろ、清少納言と斉信が親しかったのは確かなようで、有名なエピソードがあります。

清少納言と斉信のエピソード

斉信は、清少納言が務めていた定子(高畑充希)サロンによく出入りしていて、清少納言とも交流がありました。

 

ある時、斉信は清少納言についてのデマの噂話を信じ、

「どうして、あんな女を褒めてしまったのだろう」

と、悪口を言ったのです(^_^;)

デマなので清少納言は放っておいたのですが、斉信には無視されるまま・・・

 

ある雨の夜、清少納言は「斉信さまが、『清少納言と会わないのは寂しいから、文でも送ろうかな』と言っている」と、同僚の女房から伝えられます。

ねこ先輩
ねこ先輩
女房は、お世話係&家庭教師みたいな感じ!

 

その夜、本当に斉信から文が届き、お使いの人から「早く返事を!」と急かされるので見てみると、

「『花の季節に、宮中で華やかな生活を送っている』←この下の句は何だ?」

といった内容でした。

これは、中国の詩人・白楽天はくらくてんの歌。

下の句の意味は「雨の中、私は1人で山の中のボロ家にいる」。

 

つまり、斉信は清少納言に「『雨の中、私は1人で山の中のボロ家にいる』と書け〜」という、嫌味な手紙を送ってきたということですね(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
大人げない(笑)

 

清少納言は斉信の文に対し、

「こんな雨の夜に、ボロ家を訪ねてくる人なんていませんけど?」

といった内容の、白楽天の下の句とは違う返しをしました!

 

斉信から返事は来ませんでしたが、次の日、

斉信が送った手紙は、同僚の男性みんなで考えたものであること

清少納言が見事な返しをして、斉信も含め、みんな絶賛したこと

返事をみんなで一晩考えたが、上手い返事が思い浮かばずにギブアップしたこと

などが明らかに!

 

それがきっかけで斉信とも仲直りをし、清少納言のあだ名が一時期「草のいおり(ボロ家という意味)」になったというエピソードです(笑)

 

要は「お互い無視してたけど、寂しくなった男の子が女の子にちょっかいを出して、女の子の方が一枚上手だった」という、小学生みたいなことをしていたということですね(笑)

ファーストサマーウイカさんの得意気な顔も、金田さんの「やられた〜」顔も見てみたいので、『光る君へ』でもこのエピソードはやってほしいです♪

 

道兼の参内拒否&離婚は本当?(14話)

14話の兼家(段田安則)の死後、道兼(玉置玲央)は、

  • 参内(出勤)しない
  • 喪に服さない
  • 妻から離婚を言い渡される

という散々な状況でしたが、これらは本当だったのでしょうか?

 

調べた結果、道兼が喪に服さない&離婚したのは本当ですが、参内しなかったという情報はありませんでした!

 

道兼は実際、兼家の後継者に兄・道隆(井浦新)が選ばれたのが気に入らず、兼家の喪中にお客さんを集めてお酒を呑んだり賭け事やったりしていたとのこと(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
あの情けない姿は史実通りだったのか(^_^;)

 

道兼の妻(正妻ではない)・繁子しげこが道兼と離婚した時期は分かりませんが、992年に平惟仲たいらのこれなかと再婚しています。

ねこ先輩
ねこ先輩
『光る君へ』14話は990年だから、再婚したのは2年後だね

【平惟仲とは?】

兼家の家司けいし(兼家一家の事業や家事全体を担当する職員)。

『光る君へ』にも既に登場しており、佐古井隆之さんが演じられている。

 

道兼と繁子の娘・尊子たかこは後に一条天皇(塩野瑛久)の女御にょうご(妻の1人)となるのですが、それは道兼の死後。

そのため離婚した際、繁子が娘を引き取ったのもおそらく本当なのだと思われます。

離婚の理由については明らかになっていませんが、道兼より下の地位であった平惟仲と再婚しているため、

  • ドラマ通り、父親の喪に服さない道兼が嫌だった
  • ドラマ通り、平惟仲が好きになった
  • 妾が嫌で、正妻になりたかった

といった理由だったかもしれませんね。

 

父親の喪にも服さず、妻とも離婚することになった道兼ですが、後継者が道隆に決まった後、参内(出勤)しなかったという情報はありませんでした。

それどころか、道隆の政権下で991年に内大臣、994年には右大臣に昇進しています。

ねこ先輩
ねこ先輩
『光る君へ』14話は990年だから、すぐに昇進してるね

 

参内をサボっていたら、いくら道隆の弟でも昇進が滞っても不思議ではないですよね。

ねこ先輩
ねこ先輩
道隆だったら、平気で息子の伊周これちかの方を昇進させそうだし

 

そのため後継者が道隆になった後も、悔しさをこらえつつ参内はしていたのではないかと考えられます。

 

宣孝が筑前守に就任(14話)

14話で宣孝のぶたか(佐々木蔵之介)が「筑前(現在の福岡県北西部)に行くことになった〜!わしもいよいよ国司(地方の国を治める役人)じゃ〜」的なことを言っていましたよね。

宣孝が筑前に行ってしまったら、しばらく登場しなくなってしまうと思うのですが、本当なのでしょうか?

 

宣孝が筑前守に任じられたのは本当で、都に帰ってくるのは993年〜998年(正確な時期不詳)です!

 

宣孝は、

藤原知章ともあきらという人物が、春に筑前守に任じられた

着任後、息子や従者30人余りが病死

知章は筑前守を辞退

8月に、宣孝が筑前守に任じられた

という流れで、筑前守となりました。

ねこ先輩
ねこ先輩
30人も病死しちゃうなんて怖い。。。

 

筑前は「上国」であり出世であるため、宣孝は「御嶽詣みたけもうでのご利益じゃ〜」と喜んでいましたね♪

【上国とは?】

地方は土地の広さや農産物の撮れ高により、

  • 大国
  • 上国
  • 中国
  • 下国

と格付けされていた。

 

宣孝はド派手な格好で御嶽詣に行っていましたが、その姿は後に清少納言が『枕草子』の中で話題にしていました(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
清少納言が宣孝をどう評したのかは、こちら
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紫式部と清少納言のエピソードを紹介!ライバル関係は嘘?【光る君へ】今回は、紫式部と清少納言のエピソードを紹介!ライバル関係は嘘?【光る君へ】と題してお届けします。 2024年に放送予定の吉高由里子...

 

宣孝はその後、993年〜998年(正確な時期不詳)のどこかで都に帰ってきて、998年に紫式部と結婚します。

『光る君へ』14話時点では990年ですが、15話では993年くらいまで進むようなので、しばらく宣孝が登場しないということはなさそうですね♪

ねこ先輩
ねこ先輩
宣孝がまひろ家にいると雰囲気が明るくなるから、いっぱい出てほしい(><)

 

清少納言の離婚&子供捨てるは本当?(14話)

14話でききょう(清少納言)が「夫とは別れるつもり、子供も夫におっつけてしまおうと思っている」という爆弾発言をしていましたが、本当なのでしょうか?(^_^;)

 

清少納言が夫に離婚を言い渡したのは本当ですが、子供については情報がありませんでした。

 

清少納言は981年ごろ、16歳くらいの時に橘則光たちばなののりみつと結婚しています。

【橘則光とは?】

平安時代中期の貴族。

母親が花山天皇(本郷奏多)の乳母であり、則光自身は藤原斉信ただのぶ(はんにゃ金田)の家司けいし(その一家の事業・家事全体を担当する職員)でもあった。

 

結婚の翌年、982年には第一子となる橘則長たちばなののりながを授かります。

 

清少納言の夫・橘則光は、平安時代後期に作られた勅撰和歌集『金葉きんよう和歌集』にも歌が採用されている勅撰歌人でもあるのですが・・・

清少納言は『枕草子』で、橘則光を「和歌が苦手」と評しています(^_^;)

【勅撰和歌集とは?】

天皇や上皇の命で作られた歌集のこと。

勅撰和歌集に歌が収録されている歌人は「勅撰歌人」と呼ばれる。

 

橘則光は歌が苦手なわけではないと思うのですが、「俺に和歌を詠んでくるなら絶交する」と言っていたそうです(^_^;)

ねこ先輩
ねこ先輩
和歌では清少納言に及ばないって思ったのかな〜?(^_^;)

 

そんな人とは合わなかったのか、何となく仲が悪くなっていったそうで、時期は不明ですが993年までには離婚しているのではないかと言われています。

1人息子の則長がどちらに引き取られたのかは分かっていませんが、

  • 息子の名字は「橘」のまま
  • 清少納言には離婚後、再婚して娘が生まれている

といったことから、夫・橘則光が息子を引き取ったのかもしれませんね。

 

清少納言は橘則光との離婚後、藤原棟世むねよと再婚し、娘・上東門院小馬命婦じょうとうもんいんこまのみょうぶを授かっています。

【藤原棟世とは?】

結婚当時、摂津守せっつのもり(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部を治める役人の中で1番上の階級)を務めていた。

清少納言より20歳以上年上であったと言われている。

 

上東門院小馬命婦じょうとうもんいんこまのみょうぶとは?】

10歳くらいで、道長の娘・彰子あきこ(見上愛)に仕え始める。

ねこ先輩
ねこ先輩
紫式部も彰子に仕えてたよ!

勅撰和歌集『後拾遺ごしゅうい和歌集』にも歌が載っている歌人でもある。

 

橘則光は『枕草子』にもたびたび登場することから、離婚後も交流は続いており、仲もそこまで悪くなかったようです。

 

前章の「清少納言と斉信の関係は?」の章で解説している「清少納言と斉信の草の庵のエピソード」で、次の日に、

斉信が送った手紙は、同僚の男性みんなで考えたものであること

清少納言が見事な返しをして、斉信も含め、みんな絶賛したこと

返事をみんなで一晩考えたが、上手い返事が思い浮かばずにギブアップしたこと

を伝えてきたのは、元夫である橘則光!

橘則光は草の庵のエピソードについて、元妻である清少納言に「君が誇らしかった」と褒めているため、離婚後も割といい関係が続いていたのではないでしょうか♪

 

『光る君へ』で橘則光や藤原棟世むねよを誰が演じるのかも気になりますね!

 

清少納言の名前の由来(15話)

15話で、ききょう(ファーストサマーウイカ)が定子(高畑充希)の女房(お世話係&家庭教師)になった際。

定子が「今日からお前を『清 少納言』と呼ぶことにする」と言っていましたね。

 

  • なぜ「ききょう」と呼ばないのか?
  • なにが由来で「清少納言」になったのか?

を解説していきます!

 

まず「ききょう」と呼ばない理由は、

平安時代、実名は死後に名付けられる慣習があり、相手を実名で呼ぶことは不吉だったから

そのため、宮中では仮につけたられた「召名めしな」「女房名にょうぼうな」で呼ばれるから

です!

 

清少納言という名前=召名・女房名だったということですね。

ねこ先輩
ねこ先輩
平安時代、本名が不吉だったことについては、こちらの記事で詳しく解説してるよ
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続いて、なにが由来で「清少納言」になったのかは、

清→父親の名前が「清原元輔きよはらのもとすけ」だから

少納言→不明

です。

 

召名・女房名は、

  • その人の特性を簡単に表す字(ex.紫式部の「紫」は、『源氏物語』の登場人物・紫の上から)
  • 父・兄弟・夫などの官職名(ex.紫式部は、父親が式部省に勤めていた)

の2つを合わせた名前にすることが多かったようです。

 

清少納言の場合、定子の母・高階貴子たかしなのたかこ(板谷由夏)が言っていたように、「清」は父親の名字から来ています。

 

しかし、清少納言の父・兄弟・夫などで「少納言」の官職についた人はいません

そのため、なぜ「清少納言」という名前になったのかは明らかになっていませんが、

一時期夫だったと言われる人(ききょうが「別れた」って言ったのとは別の人)が、少納言だった説

ご先祖さまが少納言だった説

別れた夫の母(=)が少納言と呼ばれていた説

家族の官職ではなく、定子が名付けた説

があるそうです。

『光る君へ』では、定子が名付けた説を採用したということですね♪

 

清少納言は定子LOVEなので、定子が付けてくれた名前を気に入っていたのではないでしょうか♡

ねこ先輩
ねこ先輩
清少納言が定子LOVEなことについては、この記事で詳しく解説してるよ♪
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伊周が通っていた女性(17話)

17話で、伊周これちか(三浦翔平)が「先の太政大臣の三の君・光子さまの所に行く」と言っていました。

先の太政大臣→藤原為光ためみつ斉信ただのぶのパパ)のこと

三の君→三女のこと

※母親は、兼家の兄・伊尹これただの娘=(斉信とは異母兄弟)

であり、為光の三女は「寝殿の上しんでんのうえ」「三の君」と呼ばれていますが、『光る君へ』での名は「光子」になっていました。

 

為光の三女は元々、左大臣・源雅信(倫子パパ)の妻の1人だったのですが、伊周の妾になります。

 

後に伊周は、為光の三女のもとに通っていたことが原因の一つとなり、失脚してしまうのです(><)

為光の三女のもとに通っていたことが失脚の原因になったことについては、こちらの記事で詳しく解説しています!

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簡単にまとめると、

花山天皇(本郷奏多)が為光の四女のもとに通うが、伊周は「オレと同じ女を狙ってる!」と勘違い

弟・隆家(竜星涼)に相談したところ、花山天皇の袖を矢で射抜いちゃう(^_^;)

2人とも左遷

という流れです。

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まとめ

本記事では、光る君へ年表!紫式部の死因や生い立ち・時代背景を簡単にわかりやすく解説!と題して詳しくご紹介していきましたが、いかがでしたでしょうか?

難しい用語や人物関係などをわかりやすく解説させていただきましたので、私のように「紫式部とかよく分からん」と思っていた方に、参考にしていただければ幸いです(*^^*)

『光る君へ』内でよく分からない部分がありましたら、随時解説を追記していきますね♪

それでは、光る君へ年表!紫式部の死因や生い立ち・時代背景を簡単にわかりやすく解説!を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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