今回は、光る君へF4(柄本佑・町田啓太・金田・渡辺大知)年齢や結婚相手・エピソードを紹介と題してお届けします。
毎週日曜日20:00〜放送されている吉高由里子さん主演の大河ドラマ『光る君へ』。
- 道長(柄本佑)
- 公任(町田啓太)
- 斉信(はんにゃ金田)
- 行成(渡辺大知)
は、みんな名字が「藤原」で家柄も良いことから「平安のF4」と呼ばれ、人気になっています!
登場時点では、みんなで切磋琢磨し合う仲でしたが、今後、親の世代が終わって権力闘争の中に入っていくと、どのような関係性になっていってしまうのでしょうか?
本記事では、光る君へF4(柄本佑・町田啓太・金田・渡辺大知)年齢や結婚相手・エピソードを紹介と題して詳しくご紹介していきます。
- 年表
- 官位の推移
- 家柄
- 年齢順
- 結婚相手
- エピソード
ぜひ、最後までお付き合いください(*^^*)
光る君へF4(柄本佑・町田啓太・金田・渡辺大知)
幼なじみ(カラット)に光る君へを見て柄本佑に沼った話をしたら、どこがいいの?!って聞かれたけど、え?めっちゃいいよね?
めっちゃ男前やん?!
F4最高✨#光る君へ pic.twitter.com/AdVkwcefZw— 子鹿(なーちゃん)💜💎🌹🌊 (@kojikakojika613) February 10, 2024
『光る君へ』で「平安のF4」と呼ばれている、
- 道長(柄本佑)
- 公任(町田啓太)
- 斉信(はんにゃ金田)
- 行成(渡辺大知)
みんなイケメンですし、何よりスタイル抜群で目の保養ですよね〜♡
柄本佑さんは「あれ?こんなにカッコよかったけ?」と思うほどですし、町田啓太さんなんて言わずもがな!
金田さんは想像以上に「平安時代の貴族」が板についていますし、渡辺大知さんの弟感もたまりません♡♡
本章では『光る君へ』のF4について、
- 年表
- 官位の推移(誰が権力闘争に勝ったのか?)
をご紹介していきます。
「『光る君へ』で今のところ仲良いけど、これからどうなっちゃうの?」と気になっている方、予習をして知識をつけてから楽しみたい方に、参考にしていただければ幸いです(*^^*)
年表
年 | 道長 | 公任 | 斉信 | 行成 | 時代背景 |
966 | 誕生 | 誕生 | |||
967 | 誕生 | ||||
969 | 円融天皇即位 | ||||
970 | 紫式部誕生 | ||||
972 | 誕生 | ||||
981 | 姉が円融天皇の皇后になる(15歳) | ||||
984 | 円融天皇退位&花山天皇即位 | ||||
986 | 花山天皇退位&一条天皇即位 | ||||
987 | 倫子と結婚(21歳) | ||||
988 | 長女・彰子誕生&源明子を妻にする(22歳) | ||||
989 | 昇進が停滞 | 結婚(17歳) | |||
990 | 藤原定子が一条天皇に入内(結婚) 藤原兼家の後を継ぎ、息子の道隆が関白となる | ||||
993 | 清少納言が定子に仕える | ||||
994 | 道兼の養女と結婚(28歳) | ||||
995 | 右大臣になる(29歳) | 昇進が停滞 | |||
996 | 左大臣になる(30歳) | ||||
999 | 彰子を一条天皇に入内(結婚)させる(33歳) | 一条天皇と定子の間に、敦康親王誕生 | |||
1000 | 定子が皇后、彰子が中宮となる 年末に定子・死亡 | ||||
1005 | 紫式部が彰子に仕え始める | ||||
1008 | 一条天皇と彰子の間に、敦成親王(後の後一条天皇)誕生 | ||||
1009 | 一条天皇と彰子の間に、敦良親王誕生 | ||||
1011 | 一条天皇が退位し、三条天皇が即位 一条天皇・死亡 | ||||
1012 | 長女を道長の五男に嫁がせる(46歳) | 彰子が皇太后となる | |||
1016 | 摂政になる(50歳) | ||||
1021 | 娘を道長の6男に嫁がせる(54歳) | ||||
1028 | 病死(享年62歳) | 死去(享年56歳) | |||
1035 | 死去(享年69歳) | ||||
1041 | 病死(享年76歳) |
『光る君へ』F4のザックリとした年表をまとめました!
官位の推移などは、以下でご紹介していきます♪
官位の推移(誰が権力闘争に勝ったのか?)
年 | 道長 | 公任 | 斉信 | 行成 | 偉い順 |
980 | 従五位下 (上から14番目の地位) | 正五位下 (上から12番目) |
| ||
981 | 従四位下 | 従五位下 |
| ||
982 | 従四位上 (上から9番目) | ||||
983 | 左近衛権中将 (護衛の部署) | ||||
984 | 右兵衛権佐 (護衛の部署) | 従五位上 (上から13番目) | 従五位下 |
| |
985 | 正四位下 (上から8番目 | ||||
986 | 従四位下 (上から10番目) & 左近衛少将 (護衛の部署) | 正五位下 (上から12番目) & 左近衛少将 | 左兵衛権佐 (護衛の部署) |
| |
987 | 従三位 (上から6番目) & 公卿 (貴族の中でも高官) | 右京大夫 (司法、行政、警察の機関) | 従五位上 |
| |
988 | 権中納言 | ||||
989 | 蔵人頭 (天皇の秘書的な役割) | 右近衛中将 (護衛の部署) | |||
990 | 正三位 (上から5番目) | 左近衛中将 | |||
991 | 権大納言 | 従四位上 | 正五位下 | ||
992 | 従二位 (上から4番目) | 参議 & 公卿 | |||
993 | 従四位下 | ||||
994 | 蔵人頭 | ||||
995 | 右大臣 | 蔵人頭 | |||
996 | 正二位 (上から3番目) & 左大臣 (事実上の最高位) | 参議 & 公卿 | 左中弁 (官庁を指揮監督する役) | ||
998 | 従四位上 |
| |||
999 | 従三位 | 正四位下 | 大和権守 (奈良を治める役人) |
| |
1000 | 従三位 | 正四位下 |
| ||
1001 | 正三位 & 中納言 | 正三位 & 権中納言 | 従三位 & 公卿 | ||
1003 | 正三位 |
| |||
1004 | 従二位 | 兵部卿 (国防を司る機関) |
| ||
1005 | 従二位 | 播磨守 (現在の兵庫を治める役人) |
| ||
1007 | 従二位 |
| |||
1008 | 正二位 |
| |||
1009 | 権大納言 | 権大納言 | 権中納言 | ||
1012 | 正二位 |
| |||
1013 | 正二位 |
| |||
1016 | 摂政 (天皇が幼い時に代わりに最終判断を下す) | ||||
1017 | 従一位 (上から2番目) & 太政大臣 (家来の中で1番偉いが、名誉職的な感じ) |
| |||
1018 | 太政大臣を辞任 | ||||
1020 | 大納言 | 権大納言 | |||
1024 | 権大納言を辞任 | ||||
1026 | 按察使 (地方政治を監督) |
F4の中でずっと公任が1番官位が上だったのですが、987年に道長に逆転されます!
986年に花山天皇(本郷奏多)が退位&一条天皇(塩野瑛久)が即位し、道長の父・兼家(段田安則)が一条天皇の外祖父になったことにより、道長も急速に昇進できたのです!
それでも道長の次に官位が上だった公任ですが、1000年には斉信が同じ官位になり、1004年には1度抜かれてしまうのです(><)
公任は昇進できないことに相当不満が溜まっていたらしく、藤原氏の公卿(上級の家来)がほぼ全員お供した一条天皇の外出に、参加しなかったという事件を起こしています(><)
その時、権力を持っていたのは道長の兄・道隆(井浦新)だったため、同じく道隆に反発していた道兼(玉置玲央)と公任は親密だったとか(笑)
年齢順
- 道長(柄本佑)&公任(町田啓太)
- 斉信(はんにゃ金田)
- 行成(渡辺大知)
『光る君へ』のF4の年齢順は上記のとおりです。
- 道長&公任→966年生まれで同い年
- 斉信→967年生まれで、1歳年下
- 行成→972年生まれで、道長たちより6歳年下、斉信より5歳年下
という年齢差になっています。
行成は弟感強めでしたが、実際に6歳も離れていたんですね!
6歳という年齢差があるにも関わらず、学問などで劣っていないのはスゴイと思います!
なお演じている俳優さんの年齢順だと、
- 斉信役・はんにゃ金田さん(37歳)
- 道長役・柄本佑さん(37歳)
- 公任役・町田啓太さん(33歳)
- 行成役・渡辺大知さん(33歳)
となります。
行成役・渡辺大知さんが1番年下というのは同じですが、公任役・町田啓太さんもお若いですね。
光る君へF4柄本佑の結婚相手・エピソードを紹介
◆◇◆◇◆
平安の貴族社会で、最高の権力者として名を残した男性。まひろ(紫式部)とは幼いころに出会い、特別な絆が生まれる。のちにまひろの『源氏物語』の執筆をバックアップし、宮中への出仕を勧める。#光る君へ pic.twitter.com/mkRUF4iHEK
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) December 5, 2023
『光る君へ』のF4の1人、藤原道長(柄本佑)の
- 家柄
- 結婚相手
- エピソード
をご紹介していきます!
序盤ではのんびりしたイメージですが、実際はどんなエピソードがあるのでしょうか?
家柄
道長は、
右大臣(後の摂政)の父
冷泉天皇(円融天皇の先代)の女御(妻)であり、三条天皇(一条天皇の次の天皇)の母の姉
円融天皇(坂東巳之助)の女御であり、一条天皇(塩野瑛久)の母の姉
を持っていました。
父親はもちろん、天皇の妻&皇子を産んでいる姉が2人もいるのが強いですよね〜
特に詮子(吉田羊)は道長をかわいがっていたため、一条天皇に道長を推薦したりと、強い後ろ盾になってくれていたようです。
結婚相手
道長の結婚相手は妾も含め6人いますので、1人ずつご紹介していきます。
ちなみに「紫式部も道長の妾だった説」もありますが、真相は不明のままです。
正室:源倫子(黒木華)
◆◇◆◇◆
藤原道長の嫡妻。源雅信の娘で、宇多天皇のひ孫。おおらかさと強さを併せ持つ女性。まひろ(紫式部)とも交流があり、不思議な関係が築かれていく。#光る君へ pic.twitter.com/TGhn5CdEvG
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) December 8, 2023
道長の正室は源倫子(黒木華)です。
【どんな人?】
- 左大臣・源雅信(益岡徹)の長女
- 道長より2歳年上(結婚当時、倫子24歳、道長22歳)
【結婚した年】
987年
【子ども】
彰子(見上愛)→一条天皇に嫁いで皇子を産み、2人の天皇の母になる
頼通(渡邊圭祐)→摂政・関白
妍子→三条天皇(木村達成)の皇后
教通→関白
威子→後一条天皇の皇后
嬉子→後朱雀天皇の東宮時代の妃で皇子を産み、天皇の母になる
道長と倫子の結婚の経緯については、こちらの記事で詳しく解説しています♪
道長は倫子とほとんど毎日行動を共にしていたということで、結構ラブラブな夫婦だったようですね。
『光る君へ』では道長はまひろのことを好きなので、どのように結婚し、結婚後どのように接していくのか気になります(><)
妻:源明子(瀧内公美)
◆◇◆◇◆
藤原道長のもう一人の妻。父の源高明が政変で追い落とされ、幼くして後ろ盾を失った。のちに、まひろ(紫式部)の存在に鬱屈(うっくつ)がたまっていく。#光る君へ pic.twitter.com/h6np25DCCh
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) December 13, 2023
道長の妻は源明子(瀧内公美)です。
【どんな人?】
- 醍醐天皇(円融天皇の祖父)の第十皇子・源高明の娘(=醍醐天皇の孫)
- 父の死後、詮子(吉田羊)に引き取られ、庇護されていた
- 道長より約9歳年下(結婚当時、明子13歳、道長22歳)
【結婚した年】
988年
※倫子と結婚する前に、明子と結婚したという説もあり
【子ども】
頼宗→右大臣
顕信→18歳で出家
能信→権大納言(3番目に偉い)
寛子→三条天皇(木村達成)の第一皇子に嫁ぐ
尊子→右大臣の正室
長家→権大納言(3番目に偉い)
元々、道長の兄たちである道隆(井浦新)、道兼(玉置玲央)が明子を口説こうとしていたそうです。
しかし明子を庇護していた詮子は兄たちに明子を会わせず、道長にチャンスを与えたという逸話があります。
明子と結婚しても政治的に有利になるわけではないため、道長は恋愛をして明子と結婚したという可能性もあるとされていますが、明子とは時々しか会っていなかったそうです(^_^;)
それでも正妻である倫子と同じく6人の子どもをもうけていますので、仲は悪くなかったのではないかと思われます。
妾:源簾子
道長の妾は源簾子です。
【どんな人?】
- 源雅信の四男・源扶義(正妻・倫子の異母兄弟)の養女
- 元々は、別の貴族の妻だった
【結婚した年】
?
【子ども】
なし
元々は別の貴族の妻でしたが、離婚して道長の娘・彰子(見上愛)に仕えていた時、主人である道長の妾になったそうです。
紫式部も彰子の女房として仕えていましたので、面識があったかもしれませんね。
【女房とは?】
宮中や貴族に仕えた女性のことで、主人の身の回りのお世話や教育をした。
妾:源重光の娘
道長の妾は源重光の娘です。
【どんな人?】
- 醍醐天皇(円融天皇の祖父)の第三皇子の長男・源重光の娘(=醍醐天皇のひ孫)
【結婚した年】
?
【子ども】
長信→僧侶
道長の息子で早くに出家したのは、源明子(瀧内公美)との息子・顕信に続いて2人目ですね。
妾:藤原儼子
道長の妾は藤原儼子です。
【どんな人?】
- 藤原為光の四女
- 斉信(はんにゃ金田)、花山天皇(本郷奏多)の妻・忯子(井上咲楽)とは異母兄弟
- 元々、花山天皇の愛人だった
【結婚した年】
?(花山天皇の死後)
【子ども】
なし(1016年に道長の子を産んだが、死産で母子共に亡くなった)
儼子は、定子(高畑充希)の兄・伊周が失脚するきっかけになった長徳の変にて、花山法皇が狙っていた女性です!
- 異母姉の忯子は花山法皇に溺愛される
- 姉は伊周の妾
- 自身は花山天皇の愛人で、道長の妾
になるなんて、姉妹そろって美人だったんですね〜
妾:藤原穠子
道長の妾は藤原穠子です。
【どんな人?】
- 藤原為光の五女
- 斉信(はんにゃ金田)、花山天皇(本郷奏多)の妻・忯子(井上咲楽)とは異母兄弟
- 道長の妾の1人・儼子の実妹
- 元々、別の貴族の妻だった
【結婚した年】
?
【子ども】
なし
道長は為光の娘を2人も妾にしていたんですね(^_^;)
よっぽどタイプの顔の系統だったのかもしれません(笑)
エピソード
道長のエピソードについて、F4関連、『光る君へ』の登場人物関連のものをご紹介していきます!
①公任の顔を踏んでやる発言
兼家(段田安則)が公任(町田啓太)を褒めた時、道長が「公任の顔を踏んでやる」と言ったことがあります(笑)
漢詩・和歌・音楽の3つの才能を持っていた公任!
道長の父・兼家「うちの子たち(道隆・道兼・道長)は公任の影も踏めないくらい、実力が足りないな〜(><)」
道隆(井浦新)&道兼(玉置玲央)「情けないけど、実際に公任の実力が上だから何も言えない・・・恥ずかしい(><)」
道長「影など踏むか!公任の顔を踏んでやる!!」
と豪語し、その後、実際に道長は公任より偉くなったのです!
【原文】
四条の大納言のかく何事も優れ、めでたくおはしますを、
大入道殿、
「いかでか、かからむ。うらやましくもあるかな。わが子どもの、影だに踏むべくもあらぬこそ、口惜しけれ。」
と申させたまひければ、中の関白殿・粟田殿などは、げにさもとや思すらむと、恥づかしげなる御気色にて、ものものたまはぬに、この入道殿は、いと若くおはします御身にて、
「影をば踏まで、面をや踏まぬ。」
とこそ仰せられけれ。
まことにこそさおはしますめれ。
内大臣殿をだに、近くてえ見たてまつりたまはぬよ。
【意味】
四条大納言(=藤原公任)が何事にも優れていて素晴らしいのを、大入道殿(=兼家)が、
「どうして公任はあんなに優れているのか、羨ましい。私の子どもたちは、公任の影さえ踏むことができないのが悔しい」
とおっしゃった。
中の関白殿(=道隆)・粟田殿(=道兼)は、実際に父上はそう思っていらっしゃるのだろうと、恥ずかしげな様子で何もおっしゃらない。
しかし入道殿(=道長)は、めちゃくちゃ若いのに、
「影など踏まず、顔を踏みつけてやる」
とおっしゃった。
今では、本当に顔を踏みつけるような地位になっていらっしゃる。
公任は内大臣殿(=道長の息子)さえ、近くで見ることはできないほどだ。
『光る君へ』の道長は結構ボーっとしているイメージなので、公任を踏みつけようなんて微塵も考えていなさそうですが、実際は結構メラメラしている人物だったんですね〜
前述の「官位の推移」の通り、道長の父・兼家(段田安則)が一条天皇の外祖父になったことにより、公任よりも偉くなってしまいました(><)
②行成に助けられたこと多数
道長は、政治の上で行成(渡辺大知)に助けられたことが多数あります。
娘・彰子(見上愛)が一条天皇(塩野瑛久)に入内(結婚)する際、書道家である行成が屏風に文字を入れた
論理で一条天皇や貴族を納得させた
道長が「彰子を正室にしたい」と思った際、行成は「定子は既に出家していて神事を行えない〜」といった「母を亡くした敦康親王(定子の子)を、彰子に育てさせましょう」と、一条天皇に進言
(=彰子はまだ皇子を授かっていなかったから、これで次期皇太子候補の養母になれる)
「敦成親王(彰子の子で道長の孫)を次期皇太子にしましょう」と説得
「敦康親王を次期皇太子に」と望んでいた一条天皇に対し、
主に娘・彰子と、彰子の子どものことで、行成に助けられていますね!
行成が一条天皇に進言していなかったら、道長は「天皇の外祖父」になれず、権力を振るえなかったかもしれません!
③伊周を打ち負かす
道長は弓比べで、後の政敵・伊周(三浦翔平)を打ち負かしたことがあります。
道隆(井浦新)は屋敷に人々を集め、長男・伊周(三浦翔平)が弓を射っていました。
そこに、なぜか道長登場!
伊周VS道長で弓比べをし、道長が勝っていたが延長線が行われ・・・
道長「俺の家から帝や皇后が出るはずなら、この矢当たれ!」
と言って射ると、見事中心に命中!
伊周は、焦ったせいで矢は見当違いの方向へ・・・(^_^;)
道長「もし俺が摂政や関白になるべきならば、この矢当たれ!」
と言って射ると、再び中心に命中!
伊周の父・道隆は真っ青になり、弓比べを止めさせたというエピソードです。
【原文】
帥殿の、南院にて人々集めて弓あそばししに、この殿渡らせ給へれば、
「思ひかけずあやし。」
と、中の関白殿思し驚きて、いみじう饗応し申させ給うて、下﨟におはしませど、前に立て奉りて、まづ射させ奉らせ給ひけるに、帥殿の矢数いま二つ劣り給ひぬ。
中の関白殿、また御前に候ふ人々も、
「いま二度延べさせ給へ。」
と申して、延べさせ給ひけるを、やすからず思しなりて、
「さらば、延べさせ給へ。」
と仰せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
「道長が家より帝、后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ。」
と仰せらるるに、同じものを中心には当たるものかは。
次に、帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。
また、入道殿射給ふとて、
「摂政、関白すべきものならば、この矢当たれ。」
と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じ所に射させ給ひつ。
饗応し、もてはやし聞こえさせ給ひつる興もさめて、こと苦うなりぬ。
父大臣、帥殿に、「何か射る。な射そ、な射そ。」と制し給ひて、ことさめにけり。
【意味】
帥殿(=伊周)が、南院(道隆の邸宅)で人々を集めて弓遊びをしていた時、この殿(=道長)がいらっしゃったので、
「思いがけない不思議なことだ」
と、中の関白殿(=道隆)は驚かれた。
道隆は道長をおもてなしされ、(当時は道長は伊周よりも)身分が低かったが、伊周より前に道長に先に弓を射させてあげた。
しかし帥殿(=伊周)が射抜いた矢の数が、道長よりも2本負けてしまった。
中の関白殿(=道隆)や家来は、
「もう2回延長なさいませ」
と申し上げ、延長されたのを、道長は不満に思っていて、
「それならば、延長なさいませ」
とおっしゃって、道長がまた矢を射る時、
「道長の家から天皇や皇后が出るはずならば、この矢、当たれ」
とおっしゃると、同じ当たるにしても、何と中心に当たった。
次に、帥殿(=伊周)が射ると、たいそう気後れされていて、手も震えていたからであろうか、的の近くにさえ行かず、見当違いの方向を射った。
そのため、関白殿(=道隆)は顔色が青くなってしまった。
再び入道殿(=道長)が射る際、
「私が摂政、関白になるならば、この矢当たれ」
とおっしゃると、最初の時と同じように、的が壊れるくらい同じところ(中心)を射った。
道隆は道長をもてなしたのに、興が冷めて気まずくなってしまった。
父である大臣(=道隆)は帥殿(=伊周)に、
「これ以上どうして射るのか、いや射ることはない。射るな、射るな」
とお止めになって、場がしらけてしまった。
その後、道隆の死後に伊周と道長は政権争いを繰り広げますが、道長が勝利しています!
そして、
道長の娘・彰子(見上愛)が一条天皇に入内(結婚)し、後に皇后になる
彰子が産んだ敦成親王は、後に後一条天皇となる(=道長は天皇の外祖父)
後一条天皇が9歳で即位した際、道長は摂政になる
と、道長が言っていた「俺の家から帝や皇后が出るはずなら、この矢当たれ!」「もし俺が摂政や関白になるべきならば、この矢当たれ!」のどちらも現実のものとなったのです!
光る君へF4町田啓太の結婚相手・エピソードを紹介
◆◇◆◇◆
頼忠の息子。道長とは同い年で、友情を育むが、出世レースが進むにつれ関係が変化する。音曲、漢詩、和歌など文化面に秀でており、まひろ(紫式部)の『源氏物語』に興味を持つ。#光る君へ pic.twitter.com/2JcbLazDxI
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) December 12, 2023
『光る君へ』のF4の1人、藤原公任(町田啓太)の
- 家柄
- 結婚相手
- エピソード
をご紹介していきます!
公任はF4の中で1番「イケメン!」という声が多い目の保養なのですが、実際はどのような人物だったのでしょうか?
家柄
公任は、
関白の父
醍醐天皇(円融天皇の祖父)の第三皇子・代明親王の娘である母(=公任は醍醐天皇のひ孫)
円融天皇(坂東巳之助)の中宮である姉
花山天皇(本郷奏多)の女御である妹
を持っていました。
- 父親が関白
- 姉が天皇の中宮
という点では道長より良い家柄と言えますが、天皇の妻になった妹2人は皇子を産めなかったため、天皇と外戚関係になれず、長く繁栄できませんでした。
結婚相手
公任の結婚相手は妾も含め2人いますので、1人ずつご紹介していきます。
正室:昭平親王の娘
公任の正室は昭平親王の娘です。
【どんな人?】
- 村上天皇(円融天皇の父)の第五皇子・昭平親王の娘
- 藤原道兼(玉置玲央)の養女でもある
【結婚した年】
994年
【子ども】
定頼→権中納言であり、百人一首にも載っている歌人
良海
藤原教通の正室→道長の五男・教通(関白)の正室になった
藤原遵子の養女→公任の姉であり、円融天皇の中宮である遵子の養女になった
前述の通り一条天皇の即位後、公任の昇進は停滞しており、道長にどんどん差をつけられていました(><)
その時の関白は道隆(井浦新)だったため、公任は道隆の政治に不満を持っていたのです。
道隆の弟・道兼(玉置玲央)も道隆に反発していたため、公任と道兼は「道隆反発組」として親密であり、公任は道兼の養女と結婚したのでした。
正室にするぐらいですから、道兼とはかなり親しかったんですね〜
妾:?
公任の妾の名前は分かっていませんが、少なくとも1人は妾がいたようです。
【どんな人?】
?
【結婚した年】
?
【子ども】
任入
生母不明の息子が1人いますので、昭平親王の娘以外に妾がいたことは確かなようです。
道長のように妾がたくさんいたというわけではなかったようですね。
エピソード
公任のエピソードについて、F4関連、『光る君へ』の登場人物関連のものをご紹介していきます!
①道長も認める漢詩・音楽・和歌の才能の持ち主
公任は、
- 漢詩(中国の伝統的な詩)
- 管絃(音楽)
- 和歌
の才能の持ち主であり、道長もその才能を認めていたというエピソードがあります。
道長が舟遊びをしていた時のこと。
道長は人々が乗る舟を、
- 漢詩の才能がある人が乗る舟
- 音楽の才能がある人が乗る舟
- 和歌の才能がある人が乗る舟
と分け、人々を割り振っていました。
そこに、漢詩・音楽・和歌の全てに優れた公任登場!
道長「公任は漢詩・音楽・和歌の全てに優れているから、どの舟に乗るんだろう?」
公任「和歌の舟に乗ります!」
公任は素晴らしい和歌を詠みました。
「小倉山 嵐の風の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき」
意味:京都の山から吹いてくる風が寒いので、飛んできた紅葉が散って着物にかかり、みんな紅葉の着物を着ているようだ
公任「漢詩の舟に乗って、この↑レベルの漢詩を作れば、もっと有名になったのにな〜。
それにしても、道長が、
『公任はどの舟に乗るんだろう』
と言ってくれたのは、俺が漢詩・音楽・和歌の全てに優れているのを認めてるからこその発言だから、嬉しかったな〜♪」
【原文】
一年、入道殿の大堰川に逍遥せさせ給ひしに、作文の舟、管弦の舟、和歌の舟と分たせ給ひて、その道にたへたる人々を乗せさせ給ひしに、この大納言の参り給へるを、入道殿、
「かの大納言、いづれの舟にか乗らるべき。」
とのたまはすれば、
「和歌の舟に乗り侍らむ。」
とのたまひて、詠み給へるぞかし、
「小倉山 嵐の風の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき」
申し受け給へるかひありてあそばしたりな。
御自らものたまふなるは、
「作文のにぞ乗るべかりける。さてかばかりの詩をつくりたらましかば、名の上がらむこともまさりなまし。口惜しかりけるわざかな。さても、殿の、
『いづれにかと思ふ。』
とのたまはせしになむ、我ながら心おごりせられし。」
とのたまふなる。
一事の優るるだにあるに、かくいづれの道も抜け出で給ひけむは、いにしへも侍らぬことなり。
【意味】
ある年、入道殿(=藤原道長)が大井川(静岡にある川)で舟遊びをされた時、道長は舟を、
- 漢詩の舟
- 音楽の舟
- 和歌の舟
と分けられ、それぞれの舟にその道に優れた人を乗せられたところ、大納言(=公任)がいらっしゃったので、道長は、
「あの大納言(公任)は、どの舟に乗るのだろう」
とおっしゃったところ、公任は、
「私は和歌の舟に乗りましょう」
とおっしゃって、和歌をお詠みになった。
「小倉山や嵐山(どちらも京都の山)から吹いてくる風邪が寒いので、飛んできた紅葉が散って着物にかかり、みんな紅葉の着物を着ているようだ」
自ら進んで和歌の舟に乗っただけあり、見事な和歌をお詠みになった。
ご自身(=公任)もおっしゃったことには、
「漢詩の舟に乗ればよかった。そして、さっき詠んだ和歌レベルの漢詩を作れば、もっと名声が上がったろうに。残念だ。
それにしても、入道殿(=道長)が、
『(公任は)どの舟に乗るのか』
とおっしゃったのは、得意げになったものだ」
とおっしゃった。
一つのことに優れていることさえ難しいのに、公任のようにどの分野でも優れていらっしゃったということは、遠い昔の例にもありません。
道長が「どの舟に乗るんだろう」と迷うくらい、公任は漢詩・音楽・和歌の全ての才能があったということです!
『光る君へ』では、まだ公任の方が偉いですが、一条天皇即位後に道長に抜かされてしまうので、その後は「道長に認められて嬉しい」という感情になっていくということですね〜
②斉信の方が偉くなり、辞表を提出
公任は官位を斉信(はんにゃ金田)に抜かされた際、辞表を提出してしまったのです(^_^;)
前述の通り、1004年に斉信が従二位(上から4番目に偉い)になり、正三位(上から5番目)だった公任を抜かしてしまいます。
公任はこれに刺激され、すぐに出仕(出勤)を辞め、2ヶ月後には道長に辞表を提出し、その後7ヶ月間も出勤しなかったそうです(笑)
当時の公任の役職である中納言、左衛門督を辞めたという情報はなかったため、道長は辞表を受け取らなかったのだと思われます。
そして1005年、公任は斉信と同じ従二位になったことをきっかけに、再び出勤し始めました。
1歳年下の斉信に官位を抜かれたことが、よっぽど悔しかったんですね〜
なお公任は1008年にも斉信に官位を抜かれたのですが、その時は反発しなかったそうです。
斉信はどんどん昇進している一方、公任の昇進は滞っていてゆっくりだったので、諦めもあったのかもしれませんね。
『光る君へ』では序盤、公任が斉信を煽るようなことも多かったですが、2人の関係がどう変化していくのかも気になりますね(><)
③出家後に大人気
晩年に出家した公任のもとに、大勢の人が訪れました!
公任は晩年、
- 昇進の限界が来ていた
- 娘2人を亡くした
という状態になり、1026年、60歳で出家しました。
公任が出家したことが都に広まると、
道長から、和歌と法衣(僧侶が着る衣服)一式が贈られる
既に出家済みの道長の五男で、娘の婿でもある教通が来訪
息子・定頼も来訪
斉信(はんにゃ金田)来訪
落ち着いた頃に、と、それ以外にも大勢の人が次々と訪れたそうです!
公任は人望が厚かったんですね〜
特に斉信は、
公任の娘と同じく、娘を若くして亡くしていたため、娘のことを話し続ける
「でも出家の決心はつかない」と言う
と長々と話し、公任も自らの経験をもとに斉信を慰めました。
斉信は時間になっても帰らず、斉信と公任は2人で泣き続けたほどだったそうです(><)
公任は斉信に位階を越されて辞表を提出したほどですが、斉信自身とは仲が良かったんですね〜
おじいちゃんになっても2人で泣き続けるほど仲が良いなんて、男の友情が熱くてエモいです(><)!!
公任出家時点で既に紫式部は亡くなっているため、『光る君へ』は公任が出家する時代まではやらないと思いますが、公任と斉信のシーンはどうにかねじ込んでほしいです(><)
光る君へF4金田の結婚相手・エピソードを紹介
◆◇◆◇◆
道長、公任とともに青春時代を過ごす。道長の長兄・道隆のもとに仕えるも、道長が出世しはじめると、変わり身の早さを見せ、腹心として地位を築いていく。ききょう(清少納言)とも交流がある。#光る君へ pic.twitter.com/oM4ipNsXw9
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) December 12, 2023
『光る君へ』のF4の1人、藤原斉信(はんにゃ金田)の
- 家柄
- 結婚相手
- エピソード
をご紹介していきます!
芸人さんですが、めちゃくちゃ平安貴族顔でリアリティがありますよね〜♪
家柄
斉信は、
- 大納言(後の右大臣)の父
- 花山天皇(本郷奏多)の女御である妹
を持っていました。
道長や公任と比べると父親の地位も低く、妹が花山天皇の最愛の女御になったものの、皇子を産まぬまま亡くなってしまいましたね。。。
道長や公任には劣る家柄だったものの斉信は、
- 道隆(井浦新)の死後に道長(柄本佑)に接近し、腹心の一人になった
- 能力が優れていた
ため、どんどん昇進していきました!
能力が優れているのはもちろん、権力者に近づくのが上手かったんですね〜
結婚相手
斉信の妻の名前は分かっていませんが、結婚はしていたようです。
【どんな人?】
?
【結婚した年】
?
【子ども】
永慶
良斉
源頼清室→道長の長男・頼通(渡邊圭祐)家の家来である頼清の妻になった
源宗家
藤原長家室→道長の六男・長家の妻になった
源定宗室
奥さんの名前も分からず、情報もありませんでしたが、子どもは結構多かったようですね。
娘である藤原長家室は、当時流行していた赤斑瘡(はしか)のため妊娠7ヶ月で早産して胎児は亡くなってしまい、間もなく藤原長家室自身も亡くなってしまったそうです。。。
斉信は法要の際、言葉を発することもできず、歩くことすら困難なほどだったということで、娘を深く愛していたことがわかりますね。。。
斉信には実の子のほか、
藤原公信→父・為光の子ども(=斉信の異母弟)
藤原経任
斉長
という3人の養子もいました。
斉信は子どもが好きだったのかもしれませんね(*^^*)
エピソード
斉信のエピソードについて、F4関連、『光る君へ』の登場人物関連のものをご紹介していきます!
①道長と斉信を恨んで兄死亡?
斉信の兄は、自分が狙っていた官職を斉信に奪われて憤死してしまったんです(><)
前述の通り、斉信は1001年に権中納言になりました。
【権中納言とは?】
官職の1つ。
大雑把に分けると貴族の中で3番目くらいに偉い。
「権」は「仮」という意味。
しかし、斉信が権中納言に任じられる前・・・
斉信の実兄・誠信「俺が昇進の申請を出すから斉信、お前は辞退しろよ!絶対だぞ!!」
と言っていたにも関わらず、
道長(当時左大臣)「誠信は能力が微妙だから昇進できそうにないんだよな〜斉信、お前が昇進の申請出してみなよ」
斉信「そう言うなら出してみます!」
と、斉信が昇進の申請を出し、見事権中納言に任じられたのです!
斉信に裏切られ、抜かれてしまった誠信は、道長・斉信を深く恨み、激怒&絶食して病気になり、亡くなってしまいました。。。
誠信の怒りは、握りしめた手の指が手の甲を突き破るほど凄まじいものであったと言われています(><)
年功序列ではなく能力を重視するのは現代的ですし、斉信がそれほど優れていたということですが、かなり後味の悪い昇進ですね。。。
②行成や道長と詩会に熱心
斉信は「属文の卿相」とされていました。
【属文の卿相とは?】
- 属文→文章を作ること
- 卿相→太政大臣や右大臣、内大臣、大納言、中納言、参議といった高官
=文章を作る高官
元々、道隆(井浦新)の息子・伊周(三浦翔平)が属文の卿相として一条天皇に漢籍(中国の書籍)の講義をしていたのですが・・・
伊周は長徳の変で失脚してしまったので、斉信が属文の卿相になったんですね〜
斉信は行成(渡辺大知)と共に詩会に熱心に参加しており、道長が開催した詩会の常連でした。
斉信は道長たちと長時間詩を作っていたこともあったということで、その様子を実資(ロバート秋山)からは、
- 親昵の卿相(親しい高官)
- 恪勤の上達部(高官に仕える、真面目で忠実な身分の低い従者)
と評され、批判されていたそうです(^_^;)
つまり、「道長の従者に成り下がった」と笑われていたということですね(^_^;)
しかし斉信が昇進できたのは道長に接近したためでもあると思うので、サラリーマン?としては正解だと思います。
③道長の腹心
前述の通り、斉信は「道長の従者に成り下がった」と評されるほど、道長の腹心の1人でした。
彰子(一条天皇の中宮)に仕えていた
中宮権大夫として、道長の長女・【中宮権大夫とは?】
中宮の身の回りの世話をする役所「中宮職」の長官。
「権」は「仮」という意味。
道長の次女・妍子(三条天皇の中宮)の御所(邸宅)が火事にあった時、すぐに自分の邸宅を空け、妍子の滞在場所として提供
娘を道長の六男・長家に嫁がせる(長家は前年に妻を亡くしたばかり&斉信家で死者が出ていたが、婚儀は強引に進められた)
などなど、道長はもちろん、道長の子どもたちにも尽くしています!
そんな忠誠心の高い斉信だったのですが・・・
内大臣昇進のチャンスがあったのに、道長の長男・頼通(渡邊圭祐)が内大臣の座に
その次の内大臣昇進のチャンスでも、道長の五男・教通が内大臣の座に
と、道長の息子たちに昇進で負けてしまいます(^_^;)
あんなに道長に尽くしてたのに・・・(^_^;)
やっぱり自分の子どもが1番可愛いんだね
斉信は、
内大臣任官の祈祷をさせているとの噂が流れる
大臣である頼通(道長の長男)が重態になった時、「大臣になりたい斉信」との関連性が噂になる
ほど大臣の地位を望んでいたのですが、
- 実資(ロバート秋山)
- 頼通
- 教通
の3人の大臣体制が長く続いたため、斉信は大臣になることはできませんでした(><)
あれだけ道長に尽くしていたのに、悪口を言われていた実資や、道長の息子たちに大臣の座を独占されてしまうなんて気の毒ですね〜(><)
光る君へF4渡辺大知の結婚相手・エピソードを紹介
◆◇◆◇◆
道長よりも6歳下。道長政権下で蔵人頭に抜擢(ばってき)されると、細やかな気遣いで実務に能力を発揮、欠かせない存在として支え続ける。文字の美しさでは右に出る者がおらず、もてはやされた。#光る君へ
あすに続きます。 pic.twitter.com/DPEI0DkbtF
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) December 13, 2023
『光る君へ』のF4の1人、藤原行成(渡辺大知)の
- 家柄
- 結婚相手
- エピソード
をご紹介していきます!
行成は弟的なポジションなので、母性本能がくすぐられます♡
家柄
行成は、
- 冷泉天皇&円融天皇の外伯父で、花山天皇の外祖父の祖父
- 歌人の父
を持っていました。
祖父の伊尹は、道長の父・兼家(段田安則)の実兄です!
伊尹の妹は、
- 冷泉天皇(花山天皇の父)
- 円融天皇(坂東巳之助)
の母親であり、伊伊自身も長女を冷泉天皇に嫁がせました。
伊尹は49歳で亡くなるまで、冷泉天皇・円融天皇時代に外伯父として権力を振るっていました。
このように、行成は元々めちゃくちゃ良い家柄だったのですが、父・義孝が21歳という出世する前の若い年齢で亡くなってしまったため、没落していたのでした(><)
結婚相手
行成の結婚相手は3人いますので、1人ずつご紹介していきます。
妻:源泰清の女(姉)
行成の妻は源泰清の女(姉)です。
【どんな人?】
- 醍醐天皇(円融天皇の祖父)の孫・源泰清の娘(=醍醐天皇のひ孫)
【結婚した年】
989年
【子ども】
藤原薬助
次男→1歳で亡くなる
実経→近江守(現在の滋賀を治める役人の中で1番上)
良経→越前守(現在の福井県北部を治める役人の中で1番上)
源顕基室→後一条天皇(道長の外孫)の側近・源顕基の妻になった
源経頼室→参議(大雑把に分けると4番目くらいに偉い)である源経頼の妻になった
三女→生まれてすぐに亡くなる
生まれてすぐに亡くなってしまった子どもも多めですが、子ども自体も多いですよね。
割と子だくさんだったようです!
妻:源泰清の女(妹)
行成の妻は源泰清の女(妹)です。
【どんな人?】
- 醍醐天皇(円融天皇の祖父)の孫・源泰清の娘(=醍醐天皇のひ孫)
【結婚した年】
?
【子ども】
行経→参議&書道家
藤原長家室→藤原道長の六男・長家の妻になった
双子の男の子→生まれてすぐに亡くなる
源泰清の姉妹をそろって妻にするなんて、よっぽどタイプだったのでしょうか?
「姉と同じ人と結婚するなんて気まずそう」って思っちゃいました(笑)
娘を斉信と同じく、道長の六男に嫁がせていますね。
行成は書道家として名を馳せた人ですが、行経はその血を受け継いでいたようです(*^^*)
妻:橘為政の女
行成の妻は橘為政の女です。
【どんな人?】
- 橘為政という貴族の娘
【結婚した年】
?
【子ども】
藤原永親
こちらの妻について、詳しいことは分かっていませんが、子どもを1人授かっていますね。
行成も結構子だくさんです。
エピソード
行成のエピソードについて、F4関連、『光る君へ』の登場人物関連のものをご紹介していきます!
①道長からも書道の腕を高く評価される
行成は書道で名を馳せた人ですが、道長(柄本佑)からも書道の腕を高く評価されていました!
行成は能書家(書の名人、書道界の大御所)であり、三蹟の1人とされています。
【三蹟とは?】
平安時代中期に活躍した能書家3人のこと。
行成のほか、
- 小野道風
- 藤原佐理
がいる。
行成が開いた和様書道の流派は「世尊寺流」と呼ばれ、漢字の和様化を完成させました!
行成の書道の腕は、道長からも高く評価されており、
自ら筆を執り、式の作成や過去の記録からの抜き出しを行ったため、道長は感動した
道長の外孫・後一条天皇の即位式の際、行成は公任や斉信と共に「原本はあげるから、行成が写本したものをくれないか?」と言われた
行成が『往生要集』を道長に借りた際、道長からといったエピソードがあります!
『光る君へ』の道長は字が下手くそですが、行成は上手いですもんね〜
道長も「どうせ『往生要集』を読むなら、綺麗な字で読みたい」と思ったのかもしれません♪
②道長と同じ日に亡くなる
行成は道長と同じ、1028年1月3日に亡くなりました。
1028年1月3日、
道長→ガンor糖尿病が原因の感染症で、3〜5時ごろに享年62歳で死去
行成→突然倒れ、21〜23時ごろに享年56歳で死去
と、道長が亡くなった18時間後くらいに行成も亡くなっています。
行成は1027年のお正月から体調を崩していて、
- 左手の不調
- 乗馬ができない
などといった症状があり、お灸なども行ったそうですが、亡くなる3日前、トイレに行く途中で突然倒れ、その後は会話・飲食もできないまま亡くなったそうです。。。
しかし、世間は道長の死去で大騒ぎ(><)
道長の長男で関白であった藤原頼通(渡邊圭祐)が、道長の死を天皇に報告しに行く際、「行成の死も報告してはどうですか?」と進言した貴族を勘当したそうです(^_^;)
その貴族は9日で勘当を解除されたそうですが、当然全く悪くないので、周囲に「オレは悪くない!」と訴えたのだとか。
そして私的な感情で勘当をした頼通は、「え?処分なんて下してませんけど?」ととぼけていたそうです(^_^;)
その貴族も不憫ですが、頼通にないがしろにされた行成も不憫です(><)
③刀伊の入寇で褒美を与えない!?
刀伊の入寇時、行成&公任(町田啓太)は功労者に恩賞を与えることを反対したが、最後には実資(ロバート秋山)、斉信(はんにゃ金田)に同意したというエピソードがあります。
1019年4月、刀伊の入寇が発生しました。
【刀伊の入寇とは?】
女真族(現在の中国東北地方・満州に住んでいた民族)を主体とした海賊が九州北部に侵攻した事件。
女真族は、
- 365人を殺害
- 45棟以上を放火
- 略奪
- 1,289人を拉致
を行った。
当時の大宰権帥(九州地方の政治を担当する長官に代わり、仕事を行う人)であった藤原隆家(竜星涼)らが女真族を撃退!
女真族は朝鮮半島へ撤退していった。
基本的に戦いを行っていなかった平安時代において、見事な戦いを見せたのですが・・・
行成&公任
「『頑張った者には褒美(金品や地位)をやるぞ!』と書かれた勅符(天皇の命令を施行するために出す正式な文書)が出たのは戦闘後。
手柄を立てたのはその前だから、褒美を与えなくていい!」
実資(斉信も同意)
「昔、新羅人(古代の朝鮮半島南東部にあった国)を撃退した人に対しても褒美を約束していなかったが、褒美をあげた前例がある!
こんな大事件で褒美をあげなければ、今後戦う人がいなくなる!」
と、意見が割れてしまいます(><)
最終的には行成&公任も実資に同意し、褒美を与えることになりました!
他国の脅威から国民を守ったのに、褒美ももらえないなんてあんまりですもんね〜(><)
行成や公任は朝廷の権威を守るため勅符を重要視したようですが、国が占領されてしまえば朝廷の権威なんて言ってられなくなるので、実資&斉信は正しかったと思います。
まとめ
一夢庵大ふへん堂 小狐丸
光る君へ
この方々も買いました🤭紫式部(吉高由里子さん)と
平安時代のF4
道長(柄本佑さん) 公任(町田啓太さん) 斉信(金田哲さん) 行成(渡辺大知さん) pic.twitter.com/YWidZHzJ8W
— いっしゃん (@ishan_4kanku) January 29, 2024
本記事では、光る君へF4(柄本佑・町田啓太・金田・渡辺大知)年齢や結婚相手・エピソードを紹介と題して詳しくご紹介していきましたが、いかがでしたでしょうか?
『光る君へ』前半では公任(町田啓太)が1番偉いですが、どんどん道長(柄本佑)が地位を上げていきます!
F4の関係性がどう変わっていくのかも気になりますね(><)
それでは、光る君へF4(柄本佑・町田啓太・金田・渡辺大知)年齢や結婚相手・エピソードを紹介を最後までお読みいただき、ありがとうございました。